海外版への序文
NAMは、日本で展開されている一つの新たなアソシエーショニストの運動に付された固有名である。われわれは、資本主義=ネーション=ステートを揚棄する方向と諸原理を、可能なかぎり明らかにした。われわれは、海外諸地域の人たちがそれを検討することを願っている。そして、その名称は別として、新たなアソシエーショニストの運動が各国で起こることを切に期待している。なぜなら、この資本と国家への対抗運動はトランスナショナルでしかありえないからである。同時に、資本と国家への対抗運動は、それぞれの国家の中でなされるほかない。必然的に、それはそれぞれの歴史的な文脈によって異なってくる。NAMの現状は、多かれ少なかれ日本の状況に規定されている。にもかかわらず、われわれが提示する基本的原理は普遍的であると考えている。また、われわれは、徐々に、しかし、着実に拡大しつつあるNAMの経験をすべて、資本と国家への対抗を志向する全世界の人たちに伝え、また、相互交流を通して、より豊かに、より具体的にしていきたいと願っている。
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New Associationist Movement(NAM)の原理 第二版
NAMセンター評議会
二〇〇一年七月一日
[前書き] これら諸原理は、NAMセンター評議会から指名されたNAM規約委員会での討議と共同作業によって形成され、さらに、全会員の承認を得たものである。それはいわばNAMの諸活動の「公理」であるが、固定したものではない。それはNAMの諸活動を規定するものであるとともに、現実の経験をフィードバックすることによってたえず深化させられていくべきものである。
[目次]
A 序論
B プログラムと組織原則
C プログラム解説
D 組織原則解説
E 諸規約
F 当面のNAMの組織形態
A 序論
資本と国家を揚棄することを課題とする運動はすでに二世紀に近い歴史をもっている。それはユートピア社会主義と呼ばれたり、共産主義と呼ばれたり、アナーキズムと呼ばれたりした。しかし、二〇世紀の末に、それらが最終的に無惨な結果に終ったことを認めなければならない。もちろん、資本主義のイデオローグが何といおうと、資本と国家が存続するかぎり、それらに対抗する運動が不可避的に生じる。だが、それが真に新しく、有効な運動であるためには、過去の革命運動への根本的な反省が不可欠である。たんなる修正や弥縫によって、資本と国家を揚棄する運動が回復されるはずがないし、されるべきでもない。
資本と国家。これらは本来的に、別々のもので、それぞれ別の原理、簡単にいえば、資本は交換の原理に、国家は奪取と再分配の原理に根ざしている。絶対主義王権国家の段階で、それらが結合された。国家は自らを強化するために、資本制経済の発展を必要とし、他方、資本制経済は、すべての生産を資本制化することができないし、逆に、資本主義化しえない生産(たとえば、人間と自然の生産)に依拠するがゆえに、国家を必要とする。産業資本主義と国家のブルジョア革命ののちに、それらは不可分離に癒着した。しかし、それらが原理的に別のものであり、それぞれ自律性をもっていることを忘れてはならない。
したがって、われわれは、資本への対抗と国家への対抗を、つねに同時的に考えておかねばならない。エンゲルス以後のマルクス主義者は、資本主義を克服するために、国家権力をもってしようとした。そのことは暴力革命を通してであれ、議会制を通してであれ、同じことである。彼らが国家固有の「力」に対して鈍感であったことは、否定しようがない。一方、ユートピア社会主義者、アナーキストは、国家の「力」に対してすぐれて敏感であったにもかかわらず、資本制経済の「力」について鈍感であった。彼らは国家さえなくなれば、民衆の自発的な能力によってアソシエーション的な社会が形成されると考えていた。マルクス主義者は資本制経済の「力」に対して、国家権力によって立ち向かおうとし、その結果、それ自体が国家権力に転化してしまった。しかし、国家に依拠せず、資本に対抗することがいかにして可能だろうか。アナーキストは、マルクス主義を集権主義として非難するだけで、また、多くの場合美学的な超越を夢想するだけで、この問いに答えていない。そうであるかぎり、アナーキズムは暗黙に、あるいは逆説的に、資本主義を肯定するものにとどまるだろう。
アナーキズムが社会主義の理念に関して罪無きものであったことは確かである。しかし、それはつねに無力であったからである。その無力をマルクス主義者の専横のせいにすることはできない。なぜつねに無力であったかについての反省がなければならない。われわれのいうアソシエーショニズムは、根本的にユートピアニズムとアナーキズムに由来するものであるがゆえに、なおさら、その批判が不可欠である。資本と国家への対抗の論理は、依然として、マルクスとバクーニンがいた時点の問題を深く検討するところにしか見いだしえない。彼らの死後、一九世紀末に成立した社会民主主義には、その可能性がまったく失われている。
現在、いわゆるマルクス主義の崩壊後に支配的になったのは、それが実際にどう呼ばれているかは別にしても、社会民主主義である。それは、資本主義的市場経済をそのままにしておいて、それがもたらす不平等や矛盾を、代議制民主主義を通して、国家的な規制と再分配によって解決していこうとする考えである。ここでは、資本と国家を揚棄するという理念がまったく失われている。それはすでに一九世紀末にベルンシュタインが主張していたことの再版にすぎない。しかも、第一次大戦が示したように、国内における社会民主主義は、外に対して、国家主義的・覇権主義的であることと何ら矛盾しない。現在は世界的に、社会民主主義が支配的であるが、それ自身の無惨な過去を検討することがないならば、同じことをくりかえすに決まっている。われわれは、この方向に、資本と国家を揚棄する運動の回復を見出すことはできない。社会民主主義が支配的となるのは、それが資本と国家が延命するために必要だからにすぎない。
一方、現在、NPOや地域通貨、教育制度の自由化などが国家の手で推進されている。それは、アソシエーショニズムの可能性を与えるかのように見える。しかし、それが国家によって推進されるのは、資本主義のグローバリゼーションの結果として、国家が地域経済や社会福祉や教育の負担を削減するために、それらを民間に任せようとしているからである。したがって、こうした非資本制経済が拡大してやがて資本主義的市場経済にとってかわるだろうというような期待は、幻想である。また、それが国家を希薄化すると考えることもまちがっている。これらはむしろ、資本と国家が生き延びるためにとる方策だからである。とはいえ、われわれは、このような変化を国家と資本への対抗の手段として活用することができる。付け加えていえば、資本主義のグローバリゼーションに対して、ナショナルあるいは地域的な経済や文化を保護しようとする運動が反射的に起こっている。それは反資本主義的な動機をもっている。しかし、それは基本的に国家への依存と旧来の体制の保持につながる傾向がある。資本への対抗が国家への対抗でなければならないと考えるわれわれは、そのような方向を拒否する。さらに、グローバリゼーションの結果として人々が陥りやすい罠は、閉鎖的な共同体への回帰を志向することである。真のアソシエーションは、一度伝統的な共同体の紐帯から切れた個人によってしか形成されない。したがって、資本と国家への対抗は、同時に伝統的共同体への対抗をふくむものでなければならない。
かくして、われわれは資本と国家への対抗の論理を、根本的に転回しなければならない。われわれの対抗運動は、資本制経済の中での内在的闘争と、非資本制経済の外に出ようとする超出的闘争に分けられる。しかし、それらは同時的になされなければ、どちらも成立しない。この場合、われわれが拠点とするのは、流通(消費)の場であり、かつ、そこに立つ諸個人主体である。旧来のマルクス主義およびアナーキストの運動は、生産点における労働者の対抗を中心にするものであった。われわれはこれを流通(消費)の場にシフトする。現在、労働運動と消費者運動は切り離されているか、または対立している。しかし、たんなる消費者なるものは抽象にすぎない。消費者とは、労働者が消費のポジションにおいてあらわれるものだ。そして、そのポジションにおいてのみ、労働者は個々の「主体」でありうる。なぜなら、資本蓄積の運動(M−C−M')においては、たんに労働者を働かせるだけでなく、彼らにその生産物を買ってもらわなければならないからだ。また、労働力の再生産としての消費は育児、教育、娯楽、コミュニティ活動をふくめて広範囲に及ぶがゆえに、労働者の運動は、消費の場を中心にするとき、普遍的であり、その局所的利害による限界を超えられる。したがって、われわれが目指すのは、労働運動から消費者運動への移行ではなく、それらをともに超える消費者としての労働者の運動である。そして、この内在的な闘争の核心は、ストライキにとってかわるボイコットにある。しかし、ボイコット、すなわち、資本制生産物を買わない、賃労働をしないという運動は、同時に、それらのオルタナティヴとしての、非資本制的生産と消費の運動がなければ成立しない。すなわち、超出的闘争が不可欠である。それは生産―消費協同組合の形成である。しかし、これらが十分にやっていけるためには、資本制と異なる、支払い決済システムあるいは信用の形成が不可欠である。
われわれは資本制市場経済を揚棄しようとするが、それは市場経済の廃棄を意味するのではない。エンゲルス以後のマルクス主義者は、国家による計画経済によって資本制市場経済を廃棄することを考えた。が、それは自由な交換による市場経済の廃棄によって、経済的停滞のみならず自由の廃棄に帰結した。一方、資本制市場経済を認めながら、同時に、それを制御していこうというのが社会民主主義である。しかし、それが資本と国家の揚棄にはけっしてつながらないということは、先に述べた通りである。したがって、われわれは、貨幣と市場経済を用いながら、同時に、それが資本主義的なものに転化しないような地域通貨、特にLETS(地域交換取引制度)を採用する。Multi-LETSによる流通圏の拡大は、超出的な対抗運動一般の経済的基盤となるだろう。
新たなアソシエーショニズムの運動は、対抗運動の基盤を消費者としての労働者、すなわち、個々の「主体」におくということによって始まる。生産点での労働者の対抗を中心においた旧来の運動は、集権的な前衛党に従属するにとともに、他の要素を軽視してきた。一九六八年以後、前衛党と労働者を優位におくハイアラーキカルな革命運動に対して、学生、女性、マイノリティ、消費者などの反システム運動(ウォーラーシュタイン)がとってかわった。これらは一面において、アナーキズム(アソシエーショニズム)の再生であるが、同時にそれがもっていた弱点を備えている。それは中央権力を斥けるあまりに、つねに離散的で断片的でしかありえなかった。それでは国家と資本に対する有効な対抗をなしえない。それらの運動のたんなる寄り集まりが資本と国家への対抗運動になることはありえない。結果として、それらは社会民主主義的政党に収斂されてしまうほかない。
われわれは、マイノリティ・女性・環境問題、その他の市民運動の課題を重視するが、それらの運動に資本制経済がもたらす生産関係、また、先進諸国と第三世界諸国との生産関係への認識が欠けていることを指摘しなければならない。こうした要素の捨象が、結果的に、それらの運動を分裂させてしまうのだ。新たなアソシエーションの運動は、主権者としての個人から出発する。しかし、抽象的な個人ではなく、さまざまな社会的関係の次元が織りなす場におかれた個人である。したがって、New Associationist Movementは、これらの多数次元の自律性を捨象せず、同時に、それら離散しないような組織原理をもつ、すなわち、諸個人の複数所属である。NAMの目的は、これまでから存在しそして相互に対立し切り離されてきたさまざまな運動の媒体となることであり、けっしてそれらを統率することではない。
NAMが目指すのは、資本と国家の「揚棄」である。それは資本に転化する貨幣や政治的国家の廃棄であって、貨幣や社会的国家一般の廃棄ではない。だが、これはある段階、つまり国家権力をとった段階で、実現されるべき事柄ではない。資本制経済の中で、それに対抗しつつ徐々に成長すべきものである。そして、そのためには、対抗運動自体が、それが実現すべきものを体現していかなければならない。ポランニーは、資本制市場経済を、共同体と共同体の間に発生した寄生的存在が共同体を浸食するという意味で、ガンにたとえたが、NAMの運動はいわば対抗ガンになぞられることができよう。すなわち、それは、資本制経済につきまとい、いつのまにか、それを浸食してしまうというような運動である。資本は、それを取り除くためには自己自身を可能にした条件を取り除くほかはない。流通の場を拠点とした、内在的且つ超出的な対抗運動は、完全に合法的であり、非暴力的であり、いかなる資本主義=ネーション=ステートも手の出しようがないのである。
われわれが開始するNew Associationist Movement(NAM)は、一九世紀以来の社会主義的運動総体の歴史的経験の検証にもとづいている。そのプログラムと組織原則は、次の条項に要約される。これらはいわば「公理」であって、ここからどのような「定理」あるいは具体的な運動を創りあげるかは、諸個人の創意工夫と協業に負う。
プログラム
(1) NAMは、倫理的―経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚であるがゆえに。
(2)NAMは、資本への対抗運動を組織する。それは資本への対抗の場を、流通(消費)過程におく。すなわち、消費者としての労働者の運動を基盤とする。それによって、ボイコットを中心とした資本制経済の中での内在的な闘争と、非資本制的な生産と消費の形態ーーLETS(地域交換取引制度)と生産・消費協同組合と――を作り出す超出的な闘争を統合する。
(3)NAMは「非暴力的」である。すなわち、国家権力を暴力的に奪取する革命を拒否するだけでなく、議会を通した国家権力の獲得とその行使を志向しない。NAMが目指すのは政治的国家そのものの廃棄である。
(4)NAMは、その組織と運動形態自体において、実現すべきもの(参加的民主主義や多様体的アソシエーション)を体現する。
(5) NAMは、現実の矛盾を止揚する現実的な運動であり、それは現実的な諸前提から生まれる。いいかえれば、それは、情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである。したがって、NAMは歴史的な経験の吟味の上で、未知のものへの創造的な挑戦を目指す。
組織原則
(1)NAMは、諸個人の自由なアソシエーションである。個々人はNAMの内部で一定のルールに従うほかには、自らの主権を保持する。個々人は他の組織や運動に属してよい。むしろ、そのことによって、他の分散した組織や運動を媒介することを目指すべきである。
(2)NAMが企画する、あるいは会員が非会員とともに形成する組織や運動は、それぞれ自律的であり、NAMから区別される。それらが他の組織や運動と提携することはあっても、NAMがそうすることはない。
(3)NAMは次の三つの領域からなる。関心系、地域系、階層系。それらはそれぞれ複数の部門をユニット(単位)としてもつ。各人は、同時に、これら三領域に属する。関心系の場合、各人は複数の単位に所属してよい。各ユニットは、それぞれ自律的なアソシエーションであり、代表および事務局をもつ。これらのユニットから選ばれた代表がセンター評議会を構成する。また、そこで代表が選ばれる。代表は、どのレベルでも、互選とくじ引きによって選出される。規約改正などの重要な議題に関しては、全会員による討議と投票がなされる。
(4)NAMは、ブルジョア国家において有名無実にすぎない「三権分立」を真に実現する。上記の意思決定機構のほかに、執行機関としてセンター事務局や各種委員会があり、監査機関として監査委員会がある。執行機関はそれぞれセンター評議会によって任命され、監査委員会は直接に全会員からくじ引きで選ばれる。
(5)NAMは倫理的―経済的なアソシエーションである。強制はいうまでもないが、一方的な奉仕や自己犠牲も認められない。したがって、その中での労働はボランタリーであるが、LETSによって支払われる。また、外部からの寄付に対しても、LETSで返却される。
C-1 NAMは、倫理的―経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚であるがゆえに。
社会主義はその出発点において倫理的であった。それはたんに経済的な平等や豊かさを追求するものではなかった。「倫理的」であるとは、国家や共同体が強いる他律的な道徳とは逆である。それは、カントが述べたように、自由な主体であること、そして、他者を手段としてのみならず同時に自由な主体として扱うことである。だが、そのことは、他者をたんに手段としてのみあつかう資本制市場経済を揚棄することなくしてありえない。かくして、社会主義は倫理的な課題として不可避的に出現したのである。もちろん、倫理だけによって資本主義を克服することはできない。しかし、われわれはむしろ、倫理的な契機をあらためて重視しなければならない。マルクス主義者にはそれが失われていたからである。
たとえば、マルクスは『資本論』の序文にこう記している。《ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿をけっしてバラ色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的カテゴリーの人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を「自然史的」過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである》。マルクスは資本主義や資本家をたんに道徳的に非難したりはしなかった。しかし、われわれは、ここにこそマルクスの倫理性を見なければならない。倫理は、「主観的に諸関係を超越した」かのような態度においてあるのではない。それはこうした関係構造を廃棄しようとする態度にこそある。資本と賃労働のような「自然史的」な構造は、放っておけば、決して解消されない。われわれの倫理的な介入がなければ、資本制経済は永続するのだ。社会主義は自然史的必然ではなく、倫理的問題なのである。
ところで、この場合、他者は、生きている他者だけでなく、死者、そしてまだ生まれていない未来の他者をもふくまなければならない。現在の資本制経済がこのまま続けば、早晩、環境破壊、覇権のための戦争などで、「人類」の危機を招来することは疑いない。もしわれわれが生きている者たちの公共的合意によって、現在の「幸福」のために彼らを犠牲にするのであれば、それは他者を自由な主体としてでなくたんに手段として扱うことである。倫理的であろうとするなら、資本のとめどない蓄積運動を制止しなければならない。ゆえに、われわれの運動は政治的―経済的である。だが、われわれが人類の危機を止めるために何かをするのは、けっして未来の他者のためではなく、われわれ自身の「自由」のためである。その意味で、われわれの運動は根本的に、倫理的である。
NAMは諸個人のアソシエーションであり、個人の倫理性に根ざしている。というより、倫理性は個人の問題である。国家はいうまでもなく、反国家的組織であろうと、階級的組織であろうと、「組織」には倫理性はない。諸個人はさまざまな組織(官庁、会社、組合、市民運動団体、政治団体、村落共同体など)に属している。NAMは、それらと並び立つような組織ではない。NAMに参加することは、それらの組織を離脱して、新たな組織に属することではない。NAMは、現実にさまざまな組織に属しながら、同時に、倫理的であろうとする諸個人のアソシエーションである。いいかえれば、NAMの運動とは組織に閉ざされた人たちをアソシエートすることである。
NAMが新たな運動を始める、というべきではない。資本制経済の現実的展開の中から、すでに、それに対抗するさまざまな運動が生じている。NAMの役割は、相互に孤立し対立しさえする様々な運動や組織をアソシエートする触媒となることであり、それを担うのは諸個人である。NAMの会員は、あらゆる組織がアソシエーショニズムの理念に沿った形態になるように運動するだろうが、そのことは、それらの組織をNAMの下におくことを意味しない。たとえば、ある組織のメンバーが全員NAMに入っているとしても、それはNAMとは別である。また、ある組織がNAMと無関係であっても、その組織形態や理念がNAM的であるならば、それは歓迎すべきことである。われわれが目指すのは、たんにNAMの組織的拡大ではなく、NAM的なものの拡大であるから。
C-2 NAMは、資本への対抗運動を組織する。それは資本への対抗の場を、流通(消費)過程におく。すなわち、消費者としての労働者の運動を基盤とする。それによって、ボイコットを中心とした資本制経済の中での内在的な闘争と、非資本制的な生産と消費の形態ーー生産・消費協同組合とLETS――を作り出す超出的な闘争を結合する。
市場経済という語は現在、資本の活動であることを隠蔽するために用いられている。資本とは、M(貨幣)−C(商品)―M'という運動であるが、それは裏面において、C-MやM'-Cという交換である。そして、市場経済を賛美する者は、それだけを見て、そのような交換がM-C-M'という資本の運動としてなされていることを見ないのである。資本の蓄積(自己増殖)とは、こうした交換の増大としてあらわれる。実際、資本の運動は、交換を拡大し技術革新をもたらす。だが、そのことはあくまで、資本の運動として、つまり、資本のヘゲモニーによってなされるのであり、その結果として、階級分解や環境汚染、戦争などの弊害をもたらさずにいない。一方、それを解決するために、市場経済を否定し計画経済を指向するならば、別の弊害が生じる。しかし、資本主義的市場経済を否定することは、必ずしも、市場経済を否定することではない。正確にいえば、資本主義的市場経済と市場経済一般とは区別されるべきである。資本主義的市場経済の廃棄は、市場経済あるいは貨幣の廃棄ではない。たとえば、利子をもたず、資本に転化しない地域通貨(LETS)を用いることで、財とサービスの交換はむしろいっそう活発になる。しかも、それは軍事的生産―消費や、あるいは環境悪化を招く生産―消費に向かうことはない。さらに、そのような地域通貨にもとづく消費ー生産協同組合のグローバルなネットワークは、自給自足的な共同体への回帰ではなく、「自由な独立生産者」のために開かれた市場経済である。しかし、これはある段階、つまり国家権力をとった段階で、実現されるべき事柄ではない。資本制経済の中で、それに対抗しつつ成長すべきものである。ポランニーは、資本制市場経済を、共同体と共同体の間に発生した寄生的存在が共同体を浸食するという意味で、ガンにたとえたが、NAMの運動はいわば対抗ガン的なものである。すなわち、それは、資本制経済につきまとい、いつのまにか、それを浸食してしまうというような運動である。
資本の欲動(ドライブ)は、貨幣―商品―貨幣(M-C-M')という運動を通して自己増殖することにある。それは剰余価値を獲得することによってのみ可能である。しかし、剰余価値とは何か。マルクス主義者は、一般に、資本制経済を封建的支配の欺瞞的変形として見てきた。つまり、資本は労働者から剰余労働を騙し取るのだ、と。しかし、これはマルクス以前のリカード派社会主義者(チャーチスト運動)の考えにすぎない。マルクスが重視したのは、資本が本質的に商人資本であること、すなわち、空間的な価値体系の差額から剰余価値が得られるということである。一方、産業資本が商人資本と異なるのは、たんにC(商品)の部分に労働力商品が入っていることである。しかし、原理的には同じである。剰余価値は労働者の直接的搾取によるのではない。産業資本が獲得する剰余価値は、総体としての労働者が作ったものを労働者が買いもどすことによる差額である。だが、そのためには、技術革新によって時間的に新たな価値体系を創出することがなければならない。マルクスはそれを「相対的剰余価値」と呼んでいる。かくして資本はたえず技術革新を迫られる。とはいえ、そのことは、産業資本が商人資本のように空間的な差異から剰余価値を得ることを妨げるものではない。たとえば、資本はより安い労働力を求めて海外に移動する。したがって、剰余価値は、個別的企業あるいは個別的国家だけで考えることはできない。それは世界資本主義における総剰余価値として考えられなければならない。ゆえに、剰余価値は、個別的な企業あるいは個別国家のレベルにおいて不可視であり、ブラック・ボックスの中にある。ひとが経験的に知るのは利潤のみである。
資本と賃労働という関係は、主人と奴隷の関係とは根本的に違っている。それは、貨幣形態(一般的等価形態)と商品形態(相対的価値形態)におかれた諸個人がとる関係である。資本はM-C-M'という運動としてのみ存在する。つまり、資本はたえず「変態」することによってのみ自己増殖する。この運動において、資本は主体的(能動的)である。ところが、資本はこの過程において、一度は、相対的価値形態、つまり売る立場に立たざるをえない。そして、ここに、労働者が能動的な主体としてあらわれる場(ポジション)がある。それは資本制生産による生産物が売られる場、つまり、「消費」の場である。マルクスはいう。《資本を支配(隷属)関係から区別するのは、まさに、労働者が消費者および交換価値措定者として資本に相対するのであり、貨幣所持者の形態、貨幣の形態で流通の単純な起点ーー流通の無限に多くの起点の一つーーになる、ということなのであって、ここでは労働者の労働者としての規定性が消し去られるのである》(『経済学草稿』1858年1月)第二巻p35)。資本にとって、消費は、剰余価値が最終的に実現される場であり、消費者(労働者)の意志に従属させられる唯一の場である。
売りと買い、あるいは、生産と消費は貨幣経済において分離している。この分離が、労働者と消費者を切り離し、あたかも企業と消費者が経済主体であるかのように見えさせている。また、それは労働運動と消費者運動を分離させている。労働運動が形骸化するにつれて、消費者運動はさまざまな形で盛り上がってきた。それは環境保護、フェミニズム、マイノリティなどの運動を含んでいる。一般に、それらは「市民運動」という形をとっており、労働運動とのつながりをもたないか、否定的である。しかし、消費者運動は、実は立場を換えた労働者の運動なのであり、またそのかぎりで重要なのだ。逆に、労働運動は消費者の運動であるかぎりにおいて、その局地的な限界を超えて普遍的となりうる。労働力の再生産としての消費過程は、育児・教育・娯楽・地域活動をふくめて広範囲に及ぶからである。しかし、われわれがいうのは、グラムシが示唆したような再生産過程ーー家庭、学校、教会といった文化的イデオロギー的装置ーーの重視なのではない。労働力の再生産過程を、資本が自己実現するために通過せねばならない流通過程として、そして、そこにおいて労働者が主体的であるような場としてとらえなおすことなのだ。
そこで、われわれは、資本制経済における階級関係(資本家と賃労働者)を領主と農奴との関係の変形として見てきたマルクス主義の主要な流れを批判しなければならない。その考えでは、資本制経済において、封建制において明瞭だった剰余労働の搾取が隠蔽されている、また、「主人と奴隷の弁証法」によって、労働者が資本家を打倒する、ということになる。そして、にもかかわらず労働者が一向に立ちあがらないだけでなく、逆に社会主義革命に敵対しさえするのは、彼らの意識が商品経済によって「物象化」されているからであり、資本家と同じように考えているからだ、ゆえに、そのような物象化から労働者を覚醒させることが知識人=前衛の任務だということになる。この物象化は、消費社会の誘惑や、文化的ヘゲモニーによる操作によって生じる。ゆえに、それを批判的に解明することがマルクス主義者の任務だということになる。というより、マルクス主義者にはもうそれしか仕事が残っていないように見える。フレドリック・ジェームソンのいう「マルクス主義の文化論的転回」は、そのような「絶望」の形態である。しかし、その根底には依然として生産過程中心主義的な「希望」――つまり、文化的な「物象化」を有効に批判すれば、労働者が生産過程での社会主義革命に立ち上がるだろう、というーーがひそんでいることに注意すべきである。他方、労働運動中心主義を否定する様々な市民運動には、資本主義的生産関係に踏み込む視点が欠けている。結局、それは「市場経済」を肯定しながら、それのもたらす弊害を、さまざまな国家的レギュレーションや富の再分配によって解決しようとする「社会民主主義」のなかに収斂されてしまう。
しかし、資本の秘密をM-C-M'という運動において見るならば、資本への対抗の場を、生産から流通へ、いいかえれば、生産者としての労働者から消費者としての労働者に移すべきであることは明白である。M-C-M'という運動において、資本が出会う二つの危機的契機(モメント)がある。それは、労働力商品を買うことと、労働者に生産物を売ることである。もしこのいずれかにおいて失敗するならば、資本は剰余価値を獲得できない、いいかえれば、資本たりえない。労働者はこの二つの場において、資本に対抗しうる。一つは、アントニオ・ネグリがいったように、「働くな」ということだ。むろん、それは「労働力を売るな(資本制の下で賃労働をするな)」ということでなければ、意味をなさない。もう一つは、マハトマ・ガンジーがいったように、「資本制生産物を買うな」ということである。それらは、労働者が「主体」となりうる場(ポジション)においてなされる。しかし、労働者=消費者にとって、「働かないこと」と「買わないこと」を可能にするためには、同時に、働いたり買うことができる受け皿がなければならない。したがって、非資本制的な生産と消費の形態を作りだす超出的な闘争(生産ー消費協同組合やLETS)は、資本制経済における内在的な闘争にとって不可欠である。逆に、後者(ボイコットを中心とする内在的闘争)は、資本制企業を非資本制的企業形態に組み替えて行くことを促すだろう。かくして、NAMは、内在的闘争と超出的な闘争を、同時的に組織するものである。
くりかえすが、これまで、マルクス主義者やアナルコサンディカリストの間では、資本制経済への闘争は、労働者のストライキによる権力奪取が中心であると考えられてきた。しかし、われわれが「消費者としての労働者」の運動を重視するのは、決して労働運動が衰退したからではない。資本制経済において剰余価値の搾取がブラック・ボックスにおいてなされるとするならば、それに対する対抗もまた、ブラック・ボックスにおいてなされるほかない。この原理は、現在や将来においてだけでなく、過去に関しても妥当する。一九世紀末に、ベルンシュタインやカウツキーの議会主義に対して、ローザ・ルクセンブルグやレーニンが労働者の政治的ゼネストと蜂起を中心とする戦術を唱えた。しかし、それらはいずれも帝国主義戦争を阻止することさえできなかった。実は、国家の戦争を阻止できる力が労働者階級にあるならば、それは敗戦のどさくさによってもたらされた政治的革命(ロシア革命)などより、社会革命としてははるかに進んでいるのだ。だが、「もし」ということが許されるなら、このとき、命を賭けた、それゆえに困難な政治的ストライキのかわりに、労働者が通常どおり働き、且つ、資本制の生産物ーーどの国のものであれーーを買わないという運動を行なったとすれば、どうだろうか。このこと(general boycott)が第二インターナショナルの下で各国で同時に行なわれたなら、資本や国家はなすすべがなかったはずである。要するに、一九世紀末以来のマルクス主義の運動を総括するとき、われわれはその誤謬が資本制経済と国家への無理解にあったと結論することができる。その経験を踏まえることによってのみ、新たなトランスナショナルなアソシエーショニストの運動が可能となるだろう。
あらためていうと、資本制経済は、けっして止むことのない自己増殖運動である。それは個々の資本家あるいは経営者の意志を超えている。信用体系のもとで、資本制企業はむしろ債務を返済するためにこそ自己増殖しなければならないのだ。したがって、それがいかに無駄で有害なことをもたらすことがわかっていても、この運動が止むことはない。それは人々の考え方が変わっても、国家によって管理しても、終ることはない。資本主義は欲望の産物ではなく、欲望こそ資本主義によって喚起されたものだ。にもかかわらず、資本は剰余価値を獲得することができなければ終焉するほかない。そのための第一の方法は、M−C−M'という資本の運動に組織された回路の外にあるような消費と生産の形態(C-M, M-C)を創造することである。それが消費ー生産協同組合である。この「自由で平等な生産者たちのアソシエーション」(マルクス)には、賃労働(労働力商品)はない。しかし、これが拡大するためには、利子をもたず貨幣が資本に転化しないような、支払い決済システムが形成されなければならない。マルクス主義者はこの点を無視してきた。それは、マルクスがプルードンの労働貨幣や交換銀行を批判したからである。しかし、ことはそう単純ではない。
マルクスの『資本論』は、資本あるいは資本に転化するものとしての貨幣の探究である。資本制社会は、このような貨幣の自己増殖の運動によって編成されている。その貨幣の秘密を明らかにすることが彼の課題であった。だが、そのことからどのような対抗策が出てくるのだろうか。たとえば、エンゲルスやレーニンは国家による規制と計画経済によって、資本主義を廃棄できると考えていた。しかし、それは、各人が自由に交換する市場経済の廃棄、したがって自由の廃棄に帰結する。しかも重要なのは、それが古典経済学の労働価値説にもとづいていること、したがって、資本主義的経済の価値法則を少しも超えていないということである。ここからは、せいぜい「各人が労働に応じて受けとる」社会しか生じない。いうまでもでなく、それは「各人が必要に応じて受けとる」コミュニズムでないばかりか、そこに向かう可能性をまったくもっていない。
彼らが見なかったのは、マルクスが価値形態論で示したような、貨幣の独自の位相である。貨幣はたんに価値を標示するものではなく、それを通した交換を通して、すべての生産物あるいは生産の価値関係を調整するものだ。したがって、貨幣は全商品の関係体系の体系性として、すなわち、カントの言葉でいえば、超越論的統覚Xとしてある。その意味では、貨幣は不可欠である。市場経済が計画経済に優越するのは、この貨幣の機能によってである。もちろん、市場経済においては、貨幣が仮象として実体化されてしまう。すなわち、貨幣のフェティシズム、貨幣の自己増殖としての資本の運動が生じる。というより、ブルジョア経済学者は、それが資本の運動によって展開されていることを隠蔽した上で、市場経済の優越性を論じているのだ。にもかかわらず、資本に転化するからといって、こうした貨幣による市場経済を廃止してしまえば、元も子もなくなってしまう。
『資本論』の認識から生じるのは、つぎのようなアンチノミーである。「貨幣はなければならない」と「貨幣はあってはならない」。貨幣を「揚棄」するとは、いわば、この二つの要求を満たすような貨幣をつくりだすことである。マルクスはそれに関して何も述べていない。確かに、マルクスはプルードンの労働貨幣あるいは交換銀行を批判した。しかし、それはプルードンが労働価値説にもとづいて、労働時間を貨幣にしようとしたからである。そこに根本的な無知があった。労働価値は貨幣による交換を通して事後的に社会的に規制される。すなわち、価値実体としての社会的労働時間は貨幣を通して形成されるのであって、それが貨幣にとってかわることはありえない。だから、労働貨幣は暗黙に市場価格に依拠しており、もしそれを人為的に規制しようとすれば、市場価格との差額の分だけ貨幣と交換されてしまう。したがって、貨幣を揚棄することは容易ではない。だが、そのようにいうことで、マルクスが資本に転化しない貨幣の可能性を否定したということはできないのだ。
右のアンチノミーを念頭において見ると、最も興味深く思われるのは、マイケル・リントンが一九八二年に考案したLETS(Local Exchange Trading System地域交換取引制度)である。LETSは,参加者が自分の口座をもち、自分が提供できる財やサービスを目録に載せ,自発的に交換を行い,その結果が口座に記録される多角決済システムである。LETSの通貨は、中央銀行で発券される現金とは異なり、財やサービスの提供を受けとる人がその都度新たに発行することになっている。そして、すべての参加者の黒字と赤字を合計するとゼロになるようになっている。このシステムは今後技術的に発展させるべき余地があるとしても、その基本的コンセプトの中に、貨幣のアンチノミーを解決する鍵がふくまれている。
LETSの特徴は、共同体における互酬的交換および資本主義的商品経済と比べるとはっきりする。LETSは、一方で共同体における互酬制と似ているが、互いに見知らぬ人との間で広範囲に交換がなされるがゆえに市場的である、という点で違っている。他方で、資本制市場経済と違って、LETSにおいては、貨幣は資本に転化しない。それはたんに無利子だからではない。全体としてゼロサム原理(集計的収支相殺原理)」になっているからである。交換が活発になされているにもかかわらず、結果的に貨幣は存在しないことになる。したがって、ここでは、「貨幣は存在する」と同時に「貨幣は存在しない」というアンチノミーが解決されている。マルクスの価値形態論でいえば、LETS通貨は一般的等価物であるが、それはすべての財やサービスを関係づけるだけで、それ自身が自立してしまわないのである。すなわち、貨幣のフェティシズムが生じない。「交換可能性」としての貨幣をためこむことに意味がないし、赤字が増えることに怯える必要もない。LETSの通貨を通して、財やサービスの価値関係の体系ができあがるが、それらが「通約可能な」ものとはならない。したがって、それらに「共通の本質」としての労働価値は事後的にも成立しない。
さらに重要なのは、LETSが「連合の原理」とまったく合致するというということである。それはたんに経済的でなく、倫理的なアソシエーションである。共同体における互酬制が共同体への帰属を強制し、また、市場経済が貨幣の共同体(国家)への参加を強制するのに対して、LETSにおける社会契約は、プルードンがいった「連合」におけるそれと同じである。すなわち、諸個人はいつでもLETSをやめることができるし、複数のLETSに所属することもできる。国家による単一の通貨と違って、LETSは複数的であり、多種多様体としてある。さらに重要なのは、他の地域通貨とちがって、LETSにおいては、各人が(たんに口座に記録するだけだが)通貨を発行する権利をもつことである。国家主権の一つが貨幣発行権にあるとするならば、これは口先だけの人民主権ではなくて、各人を真に主権者たらしめるものである。そして、このことは、LETSがたんなる地域通貨ではないということ、あるいはたんなる経済的問題ではないということを意味する。別のところで述べるように、資本も国家もネーションもそれぞれの「交換」原理にもとづくものであり、広い意味で「経済的」なものだとすれば、それらにとってかわりうるのは交換原理としてのLETSにもとづくアソシエーションだけである。
ここで最も重要なことは、LETSが流通過程において形成されることである。すなわち、「消費者」がイニシャティヴをもつ。生産協同組合も消費協同組合もただちに資本制企業との競争に追いこまれるのに対して、LETSは「消費者としての生産者」が自由に主体的に形成しうるものである。そして、それが拡大したときにのみ、非資本制的な生産―消費協同組合も存立することができる。とはいえ、それらがいかに浸透しようと、それだけでは、資本の自己増殖の運動を止めることはできない。それらは局所的であり、市場経済の補完物であるにとどまる。LETSがもつ可能性を真に引き出すのは、資本制=ネーション=ステートに対する総体的な対抗運動である。逆に、後者はLETSによって支えられる。したがって、資本制経済の外部に出る超出的運動だけでなく、資本制経済における内在的な闘争が同時に不可欠なのだ。だが、それらはいかにして結びつきうるのか。いうまでもなく、労働者が消費者としてあらわれる場(ポジション)、すなわち流通の場においてである。資本と国家への内在的な闘争と超出的闘争は、流通過程、すなわち、消費者/労働者の場においてのみつながる。なぜなら、そこでのみ、個々人が倫理的な「主体」となる契機が存するからである。アソシエーションとは、あくまでも個々人の主体性にもとづくものであるが、それはこの流通過程を軸にすることなくしては不可能である。
ここで、グラムシに関して、一言のべておく必要がある。彼は機動戦、陣地戦、地下戦というような戦争形態の比喩で語った。その場合、機動戦とは、政治的国家と直接的に戦い権力を掌握することであり、陣地戦とは、政治的国家の統治装置の背後にある市民社会のヘゲモニー的な支配装置と戦うことである。彼はロシア革命において通用したことが市民社会の成熟した西欧において通用しないことを次のように指摘している。《東方では、国家がすべてであり、市民社会は原生的でゼラチン状であった。西方では、国家と市民社会の間に適正な関係があり、国家がぐらつくと、たちまち市民社会の頑丈な構造が姿を見せた。国家は第一線塹壕にすぎず、そのうしろには要塞と砲台の頑丈な系列があった》(『新君主論』・「陣地戦と機動戦――トロツキー論」)。このような「陣地戦」の考えは、現在、文化的批判に向かう人々の根拠となっている。だが、この「陣地戦」は、現在そう考えられているように、たんに文化的ヘゲモニーへの闘争を意味するものではありえない。ここで興味深いのは、グラムシが、マハトマ・ガンジーの消極的闘争を高く評価し、それを「陣地戦」と呼んでいることである。《ガンジーの消極的抵抗はある時点で運動戦となり、またある時点で地下戦ともなるところの陣地戦である。ボイコットは陣地戦であり、ストライキは運動戦であり、武器と戦闘員の内密の準備は地下戦である》(『新君主論』・「政治闘争と軍事闘争」)。すなわち、彼はボイコットにこそ「陣地戦」の精髄を見いだしていたのである。そして、大切なのは、ガンジーのボイコット運動が同時に、非資本制的な生産―消費協同組合を作ることを伴っていたことである。「ボイコット」は、したがって、超出的な運動を背景にし、且つそれを支えるものとしてあるときにのみ重要な意味をもつ。しかし、それは、たんなるナショナリズムや排外主義にもとづくボイコットとは区別されなければならない。すなわち、消費者としての労働者の対抗運動において、ボイコットはつねに普遍的な観点からなされなければならない。
C-3 NAMは「非暴力的」である。すなわち、国家権力を暴力的に奪取する革命を拒否するだけでなく、議会による国家権力の獲得とその行使を志向しない。なぜなら、それらによっては結局国家が生き延びてしまうからである。NAMが目指すのは政治的国家そのものの廃棄である。
マルクス主義者は一般に、経済的なものが土台的下部構造で、国家やネーションは上部構造であるという見方をしてきた。その場合、上部構造には相対的な自律性があり、それ自体の形式を探るべきだという批判がなされたりもした。しかし、そのような「史的唯物論」の見方は、少しもマルクス的ではない。たとえば、資本主義的経済は下部構造であろうか。貨幣や信用の世界は、経済的というよりも、宗教的な幻想的な構造ではないのか。われわれは今もそれにふりまわされている。逆にいえば、国家やネーションも宗教的な幻想であるとしても、それらが不可避的に存在するのは、資本と同じように、現実的に不可避的な基盤があるからではないのか。したがって、それをたんに幻想だといっても、けっしてそれを解消できないのである。
そもそも上部構造・下部構造という言い方は、マルクスが「経済学批判序説」で述べた一節から来ているだけで、マルクスは特にそれを強調したわけではないし、それは彼の主著である『資本論』から見れば、大した認識ではない。史的唯物論は、エンゲルスがマルクスより早くもっていた認識であり、後に、マルクス死後、エンゲルスが、マルクスが最初にそれを言ったと主張したために、「マルクス主義」の核心ということになっただけである。もしそのようなものがマルクス主義なら、マルクスがいなくても、マルクス主義は成立したといえる。しかし、『資本論』のような作品は絶対に、マルクスなしに存在しなかった。史的唯物論は、資本制経済以前の歴史を、資本制経済が実現したものから遡行的に理解するものであって、マルクスの言葉でいえば、「人間の解剖は猿の解剖に役立つ」ということである。資本主義社会はそれ以前の歴史を経済的な視点から見ることを可能にするが、その逆に、後者によっては、資本主義を理解することはできない。資本としての貨幣は、国家やネーションと同じく、共同的な幻想であり、同時に、この上なく、現実的なものである。
普通、資本主義的な経済構造があり、その上部構造として、国家やネーションがあると考えられるが、資本と国家とネーションは、それぞれ違った「交換」の原理にもとづくものだと考えられるべきである。それらが区別されないのは、ブルジョア的な近代国家において、それらがトリニティ(三位一体)になっているからである。先ず、それらの「交換」の原理を区別するところから始めよう。マルクスは、交易は共同体と共同体の間での交換から始まる、といっている(『資本論』)。しかし、その前に、違ったタイプの交換があることに注すべきである。第一に、共同体の中の交換である。これは贈与―お返しという互酬的交換であって、これは相互扶助的だが、お返しに応じなければ村八分になるというふうに、共同体の拘束が強くあり、また、排他的なものである。第二のタイプは、強奪することである。むしろ、交換は、互いに強奪することを断念するところから始まる。しかし、強奪も交換の一種と見なしてよい。というのは、持続的に強奪するためには、相手を別の敵から保護したり、産業を育成したりする必要があるからだ。それが国家の原型である。国家は、より多く収奪しつづけるために、再分配によって、その土地と労働力の再生産を保証し、灌漑などの公共事業によって農業的生産力を上げようとする。その結果、国家は収奪の機関とは見えないで、むしろ、農民は領主の保護に対するお返しとして年貢を払うかのように考える。ゆえに、国家は一面において、超階級的で、「理性的」であるかのように表象される。したがって、収奪と再分配も「交換」の一種なのである。人間の関係に暴力の可能性があるかぎり、このような形態は不可避的である。
第三に、マルクスのいうように、共同体と共同体の間での交易がある。この交換は、相互の合意によるものである。しかし、それはすでに国家と法が存在する所でしかありえない。ところで、すでに述べたように、この交換には剰余価値、すなわち資本が発生する。商人資本は古典経済学者が非難したような詐欺にもとづくものではない。価値体系の異なる地域の間での交換、たとえば或る地点で安く買ったものを別の地点で高く売ったとしても、それぞれは等価交換なのに、差額(剰余価値)が発生する。産業資本も原理的には同じである。商人資本の場合は空間的な差異にもとづくが、産業資本における剰余価値は、時間的に、技術革新によって価値体系を変えてしまうことによる差額(相対的剰余価値)にもとづいている。つまり、それは「搾取」ではあるが、封建的国家における収奪と似ているように見えて、根本的に違う。しかし、交換(交易)が一見して等価交換であるにもかかわらず、不等価交換あるいは富の不平等をもたらすこと、このことは事実によって示されている。
交換には、この三つの型がある。実は、さらに、もう一つ交換のタイプがあり、それがわれわれのいうアソシエーションである。それは、以上の三原理とは違った原理にもとづくものである。というのは、そこでの交換は、国家や資本と違って非搾取的であり、また、農業共同体と違って、その互酬制は、自発的であり且つ非排他的(開放的)であるから。以上を図示すると、つぎのようになる。
a収奪と再分配 b贈与の互酬制
c貨幣による交換 dアソシエーション
a封建国家 b農業共同体
c都市 dアソシエーション
a国家 bネーション
c資本(市場経済) dアソシエーション
ベネディクト・アンダーソンは、ネーション=ステートが、本来異質であるネーションとステートの「結婚」であったといっている。これは大事な指摘であるが、その前に、やはり根本的に異質な二つのものの「結婚」があったことを忘れてはならない。国家と資本の「結婚」、である。国家、資本、ネーションは、封建時代においては、明瞭に区別されていた。すなわち、封建国家(領主、王、皇帝)、都市、そして、農業共同体である。それらは、異なった「交換」の原理にもとづいている。すでに述べたように、国家は、収奪と再分配の原理にもとづく。第二に、そのような国家機構によって支配され、相互に孤立した農業共同体は、その内部においては自律的であり、相互扶助的、互酬的交換を原理にしている。第三に、そうした共同体と共同体の「間」に、市場、すなわち都市が成立する。それは相互的合意による貨幣的交換である。封建的体制を崩壊させたのは、この資本主義的市場経済の浸透である。一方で、それは、絶対主義的王権国家を生み出す。それは、商人階級と結託し、多数の封建国家(貴族)を倒すことによって暴力を独占し、封建的支配(経済外的支配)を廃棄する。それこそ、国家と資本の「結婚」である。
そこでは、封建地代は国税となり、官僚と常備軍が国家的な装置となる。絶対主義王権の下で、それまで様々な部族や身分にあった人々は、すべて王の臣下となることで、のちの国民的同一性の基盤を築く。商人資本(ブルジョアジー)は、この絶対主義的王権国家のなかで成長し、また、統一的な市場形成のために国民の同一性を形成した、ということができる。しかし、それだけでは、ナショナリズムの感情的基盤はできない。ネーションの基盤には、市場経済の浸透とともに、また、都市的な啓蒙主義とともに、解体されていった農業共同体がある。それまで、自律的で自給自足的であった各農業共同体は、貨幣経済の浸透によって解体されるとともに、その共同性(相互扶助や互酬制)を、ネーション(民族)の中に想像的に回復するわけである。
アンダーソンは、宗教が衰退した後に、ネーションがその代理をはたすと指摘しているが、その場合、宗教が具体的に農業共同体としてあったことが重要である。宗教の衰退とは、共同体の衰退と同じことを指す。というのは、宗教はプロテスタンティズムのような形では、少しも衰退していないからだ。ネーションは、悟性的な(ホッブス的)国家と違って、農業共同体に根ざす相互扶助的「感情」に基盤をおいており、また、ナショナリズムにおいてそれが喚起される。同じ民族だから、助け合おうという、友愛の感情である。それが、いわば、国家とネーションの「結婚」である。もちろん、それは農業共同体と同様に排他的である。
しかし、それらが本当に「結婚」するのは、ブルジョア革命においてである。フランス革命で、自由、平等、友愛というトリニティ(三位一体)が唱えられたように、資本、国家、ネーションは切り離せないものとして統合される。だから、近代国家は、資本制=ネーション=ステート(capitalist-nation-state)と呼ばれるべきである。それらは相互に補完しあい、補強しあうようになっている。たとえば、経済的に自由に振る舞い、そのことが階級的対立に帰結したとすれば、それを国民の相互扶助的な感情によって越え、国家によって規制し富を再分配する、というような具合である。その場合、資本主義だけを打倒しようとすると、国家的な管理を強化することになるし、あるいは、ネーションの感情に足をすくわれる。前者がスターリン主義で、後者がファシズムである。
このように「交換」から資本、国家、ネーションを見ることは、いわば経済的な視点である。その意味でなら、経済的な構造が「土台」であるといってよい。この三つの「交換」原理の中で、近代において、Cタイプの交換が深化し、他を圧倒したということができる。しかし、それは全面化することはできない。たとえば、それは家族を解体できないし、それに依存するほかない。また、農業などは資本主義化が完全にはできない。資本は、人間と自然の生産に関しては、家族や共同体に依拠するほかないし、非資本制生産を前提している。同様に、国家もまた、資本主義的市場経済によって消えるわけではない。むしろ、資本主義の危機(恐慌)において、国家が露骨に登場する。また、絶対主義的な王(主権者)は、ブルジョア革命によって消えるが、国家そのものは残る。それは、国民主権による代表者=政府に解消されてしまうものではない。国家はつねに他の国家に対して主権者として存在するのであって、したがって、その危機(戦争)においては、強力な指導者(決断する主体)が要請される、ボナパルティズムやファシズムにおいてそうであったように。
先にのべたように、グラムシは、ロシアでは国家がすべてであり、市民社会は原生的でゼラチン状であったのに、西欧では市民社会が成熟しているということ、ゆえに、その戦略を「機動戦」から「陣地戦」に変えなければならないということを指摘した。しかし、この市民社会の成熟とは、むしろ、資本=ネーション=ステートが確立しているかどうかで見られるべきである。イタリアにおいて、グラムシが指導したレーニン主義的な工場占拠の闘争がファシストによって粉砕されたのは、後者がナショナリズムに訴えたからである。一方、ロシアでは、国家、資本、ネーションは統合されていなかった。つまり、そこでは、戦争は皇帝のためのもので、ネーションのためのものではなかったから、むしろ、社会主義革命がナショナリズムを喚起しえたのである。また、多くの「社会主義」国の場合、革命は民族独立解放と同じであった。そこでは、国家機構や資本は植民地統治勢力と結託していたので、ナショナリズムを喚起したのは社会主義者であった。だが、これらの「成功」例は、資本制=ネーション=ステートの三位一体が確立された後に、それにどう対抗するかを教えない。
ブルジョア革命は暴力革命であった。それは絶対主義的な専制体制に対して国家権力を奪うことであったから。ブルジョア革命(民主的国民国家形成)は、世界的には、その名はどうであれ、また、その担い手が誰であれ、今も続いている。先進国の人間が、そこにある「暴力」を非難するのは、不当である。しかし、ブルジョア革命以後の革命、つまり、全面化した資本制と国民国家を揚棄する「革命」は、もはや国家権力を握って社会を変えるというようなブルジョア革命的なものではありえない。ゆえに、われわれは「革命」というかわりに、これを「対抗」(カウンターアクト)と呼ぶことにする。
マルクスは、最も先進国であるイギリスでこそ社会主義革命が可能であると考えていた。なぜなら、社会主義はブルジョア社会が発展した「段階」でのみ可能なのだから。にもかかわらず、それは起こりそうもなかった。普通選挙制が確立され労働組合が強いところで、かえって革命は遠のいたように見えた。しかし、このとき遠のいたのは、ブルジョア革命に由来する「革命」であって、それとは異質な革命の概念が必要になってきたのである。マルクスが『資本論』に取り組んだのがそのような状況においてであったことを忘れてはならない。資本主義への単なる批判ではどうにもならないという認識が、かくも厖大な書物に彼を取り組ませたのである。この点で、グラムシがいったことは注目に値する。彼の考えでは、「機動戦」から「陣地戦」への移行はすでに一九世紀後半にあった。《この点では、ヨーロッパでは一八四八年以降に生じ、他の若干の人々はそれを理解したのに対し、マッツィーニやその一派は理解しなかったこと、すなわち、「機動戦」から「陣地戦」への政治闘争の移行という問題――同様の移行は一八七一年以降、その他の場合にも生じているーーを考察しなければならないことは明らかである》(『新君主論』・「受動的革命の概念」)。機動戦から陣地戦への移行は、他のどこよりもイギリスにおいて、リカード派社会主義者によるチャーチスト運動が終った時点で顕著にあらわれていたのだ。したがって、『資本論』はこの意味での「陣地戦」のための論理を与えるものとして読まれるべきである。
高度にブルジョア化した社会において、社会主義革命はいかにして可能か。この問いに、マルクスは直接に答えていない。しかし、彼が『資本論』において、それに直面していたことは確実である。マルクスの死後、エンゲルスは、ドイツにおける社会民主党の躍進とともに、議会による革命が可能であると考えるようになった。だが、これは根本的にブルジョア革命(暴力革命)の延長である。議会制によろうと、国家権力の行使はそれ自体暴力的である。なぜなら、国家権力は根本的に独占された暴力にもとづいているからだ。マックス・ウェーバーは次のようにいっている。《国家とは、ある一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である》(『職業としての政治』)。強制でなくて同意によろうと、権力の行使は暴力にもとづいている。だから、ウェーバーは、政治にかかわる者は、「すべての暴力の中に潜む悪魔の力と関係を結ぶのだ」といっている。この意味で、社会民主主義はless violentではあろうが、non-violentではない。それは、議会制の多数決原理によって掌握した国家権力によって、資本から課税によって収奪したものを労働者に再分配することをめざす。一九世紀末以来、マルクス主義はいわば、カウツキー派(社会民主主義)とレーニン派に分かれた。しかし、極端な自由主義者ハイエクのような観点から見れば、それらの差異は見かけほど大きくはない。一方はソフトな国家主義であり、他方はハードな国家主義である。いずれも国家権力に訴えるがゆえに「暴力的」である。そして、いずれも、「労働力商品」つまり賃労働の廃棄を目指していない。しかし、それらは後期マルクスの考えと根本的に無縁である。
エンゲルスの弟子であったベルンシュタインは、エンゲルスにまだ残っていた「革命」幻想の残滓を取り除いた。レーニンやローザ・ルクセンブルグがそれを批判したことはいうまでもない。彼らはまた、社会主義革命が、資本主義経済が発展しブルジョア的な市民社会が確立した段階でのみ可能であるという考えを否定し、そのような段階の「飛び越え」が可能であると主張した。しかし、問題は、先進国でのみ革命が可能だということではなく、むしろそこではもはや、古典的な革命――ブルジョア革命を継承する形態ーーが不可能となったということなのである。ゆえに、そこで、旧来とは違った考えが不可欠になる。エンゲルスらの変化もそこから来たのだ。しかし、ロシア革命の成功は、その問題を考えることを遅れさせた。
資本主義的後進国において、政治的革命はいかに困難であるとしても、われわれがもつ種類の困難さをもっていない。というのは、実のところ、それはブルジョア革命の変型にすぎないからだ。二〇世紀における社会主義革命の多くが、「民族独立・解放」、すなわち、ネーション=ステートそのものの確立を目指していたこと、それゆえにまた、成功したことを見ればよい。だから、問題は、それ以後に「飛び越え」が可能かどうか、である。この問題に関して、最も早く鋭い洞察をもっていたのは、トロツキーであった。一九〇五年の第一次ロシア革命のあとに、彼は段階の「飛び越え」は可能である、と考えた。なぜなら、後進国においては、ブルジョア市民社会は脆弱で、国家権力を打倒すればよかったから。しかし、彼は、同時に、「飛び越え」は不可能であるとも考えた。権力をもった労働者階級の政府は、資本の手でなされた「原始的蓄積」(農民収奪)を自らやらねばならず、そのような体制を保持するためには、絶対主義的な独裁体制を強行することになるだろうから。彼はこのパラドックスを「永続革命」によって乗り越えることができると考えたが、実際の事態は、彼自身の予見を二つとも証明した。
先進国の左翼は、後進国の革命に特徴的な英雄的暴力性を賞賛し、羨望し、模倣さえしたが、自らに固有な困難に取り組まなかった。また、彼らは、後進国における革命を、市場の封鎖によって先進国の資本を追いつめるという観点から重視した。しかし、実際には、そのような封鎖は、社会主義的諸国家を経済的に停滞させただけで、世界資本主義の発展を阻止する力にはならなかった。そして、皮肉にも、飛び越えたはずの「ブルジョア革命」がそこに起こった。その結果、左翼は、一世紀を経て、ベルンシュタイン的観点に立ち帰ったのである。いうまでもなく、それは資本と国家を揚棄するという課題をまったく見うしなっている。そして、そのような社会民主主義はかつて帝国主義戦争を止め得なかったばかりか、その熱狂のなかに呑みこまれたように、今後においてそのような可能性をもっている。にもかかわらず、もはやそれをレーニン主義的に批判することはできない。では、それ以外のオルタナティヴはないだろうか。それを、マルクスと別のところに求める試みは、ありふれており、且つ、つねに欺瞞的である。それは、マルクスが革命の可能性がますます色あせたイギリスにとどまって専念していた『資本論』に求められねばならない。すでに述べたように、資本=ネーション=ステートは、人間の「交換」がとる必然的な形態に根ざしている。容易に、この環を出ることはできない。マルクスがその出口を見いだしたのは、第四の交換のタイプ、すなわち、アソシエーションにおいてである。
マルクスは、『ドイツ・イデオロギー』において、エンゲルスの書いた文章に、次のように書き加えている。《共産主義とは、われわれにとって成就されるべきなんらかの状態、現実がそれに向けて形成されるべきなんらかの理想ではない。われわれは、現状を止揚する現実の運動を、共産主義と名づけている。この運動の諸条件は、いま現にある前提から生ずる》。マルクスはこの姿勢を貫徹している。そして、その二十年後に、彼は幾つかの「現状を止揚する現実の運動」に、共産主義の可能性を見いだしている。それは生産と消費の協同組合である。マルクスは、株式会社を、「資本主義的生産様式そのもの限界内での、私的所有としての資本の廃止」として見た(『資本論』第三巻5−27)。なぜなら、株式会社は、資本と経営の分離によって、それまでの実体的な「資本家」を消滅させるからである。しかし、株式会社は資本制の「消極的な揚棄」にすぎない。彼は、労働者が株主であるような生産協同組合にその「積極的な揚棄」を見出す。《資本主義的生産様式から生ずる資本主義的取得様式は、したがって、資本主義的私有は、自分の労働にもとづく個人的な私有の第一の否定である。だが、資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生み出す。それは否定の否定である。この否定は、私有を再建しないが、おそらく資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と、土地や労働そのものによって生産される生産手段の共同所有とを基礎とする、個人的所有をつくりだす》。(『資本論』第一巻7・24)。
マルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な私有権は、それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義王権国家によって与えられたものだ。私有はむしろ国有なのであり、逆に、国有こそ私有財産制にもとづくのである。それゆえに、私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。逆に、私有財産の廃棄は国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズムが新たな「個人的所有」の確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソシエーションとして見ていたからである。そこでは賃労働(労働力商品)が廃棄されている。ところが、生産協同組合や消費協同組合は、共産主義を国有化による計画経済と思いこんだマルクス主義者によって軽視されてきた。基本的に、それらはロバート・オーウェンのようなユートピアンによって構想されたものであり、幾度も挫折しながら、一八五〇年代以後のイギリスで現実に隆盛してきた運動である。マルクスはこれらを否定しなかっただけでなく、「自由で平等な生産者のアソシエーション」にこそコミュニズムを見いだしたのである。
実際、マルクスは次のように書いている。《もし連合した協同組合組織諸団体(united co-operative societies)が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断の無政府と周期的変動を終えさせるとすれば、諸君、それは共産主義、"可能なる"共産主義以外の何であろう》(『フランスの内乱』)。コミュニズムとは、資本制経済において貨幣との交換によって実現される「社会的」諸関係を、「自由で平等な生産者たちのアソシエーション」、さらに諸アソシエーションのグローバルなアソシエーションに転換しようとするものである。それは根本的に「倫理的」である。いいかえれば、「他者の人格における人間性を手段としてのみならず、同時に目的としても扱う」(カント)ことを目指している。そして、この要素がないならば、コミュニズムはコミュナリズム(共同体主義)かコレクティヴィズム(集産主義)にしかならない。通常、コミュニズムは、プロレタリアートが国家権力を奪い、私有財産を国有化し、全生産を中央の統制下におくことと見なされている。確かに、それは「資本制生産の不断の無政府と周期的変動」を取り除くことができるとしても、「自由で平等な生産者のアソシエーション」とはほど遠い。
しかし、今ここで重要なのは、通念に反して、マルクスがコミュニズムをアソシエーショニズムに見出していたということを指摘することではない。むしろ、彼がアソシエーショニズムの限界と困難を見ていたことを指摘することである。それが彼の態度を両義的にしたのだし、また、マルクス主義者が一般に消費ー生産協同組合を軽視した理由でもある。その限界とは、消費ー生産協同組合が資本との競争のもとにおかれていることである。それらは局所的(資本制をとりにくい生産領域)に成立するか、自ら株式会社になってしまうか、または資本との競争に敗れて崩壊してしまう。したがって、マルクスは「国家権力を生産者自身に移す」ことが不可欠だと考えた。これに関して、バクーニンはマルクスをラッサールと並べて批判した。《これがラッサールの綱領であり、これが社会民主党の綱領である。それは元来がマルクスのものであり、マルクスは一八四八年に彼とエンゲルスとで公刊した有名な『共産党宣言』の中で、これを完全に述べている。−−−ラッサールの綱領は、彼がその師と認めているマルクスの綱領とすこしもちがっていないことは、明らかではないか》(『国家と無政府』所収)。しかし、これは無理解でなければ、意図的な中傷である。バクーニンは六十年代から七〇年代にかけての、マルクスの認識をあえて無視している。
マルクスは、ラッサールがいうような、国家によって生産協同組合を保護育成する考え(ゴータ綱領)を批判した。《労働者たちが協同組合的生産を社会的規模で、最初は自国で、したがって国民的規模で生み出そうとするということは、彼らが今日の生産諸条件の変革に努力しているということにほかならず、国家援助による協同組合諸団体の設立となんの共通性もない。現行の協同組合諸団体についていえば、それらが政府からもブルジョアからも後援されない労働者の独立の創設物であるかぎりで価値を有しているのだ》(『ゴータ綱領批判』一八七五年)。要するに、マルクスは国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって代るべきだといっているのである。そのとき、資本と国家は揚棄されるだろう。そして、そのような原理的考察以外に、彼は未来について何も語っていない。
それに関して興味深いのは、消費ー生産協同組合に関するカール・シュミットの意見である。国家あるいは政治的な次元の自立性を強調した彼は、国際的な連合が国家を解消させることは決してないという。それは一国あるいは数カ国の覇権的支配に帰結するだけである。ナチに積極的に参加しながら、その超国家的な人種理論に反対して失脚するほどに国家主義者であった、この政治思想家は、しかし、国家の死滅に関して、次のような考察を残している。《「世界国家」が、全地球・全人類を包括するばあいには、それはしたがって政治的単位ではなく、たんに慣用上から国家と呼ばれるにすぎない。(中略)それが、この範囲をこえてなお、文化的・世界観的その他何であれ、「高次の」単位、ただし同時にあくまで非政治的な単位を形成しようとしたばあいには、それは、倫理と経済という両極間に中立点をさぐる消費ー生産協同組合であるだろう。国家も王国も帝国も、共和政も君主政も、貴族政も民主政も、保護も服従も、それとは無縁なのであって、それはおよそいかなる政治的性格をも捨て去ったものであるだろう》(『政治的なものの概念』田中浩・原田武雄訳・未来社)。いいかえれば、シュミットも、消費ー生産協同組合以外に国家を揚棄する道はないといっているのである。その場合、国家は残るが、もはや政治的なものではない。それに加えて、われわれはつぎのようにいってよい。市場経済は残るが、それは現在、ひとが考えているような(資本主義的)市場経済とは似て非なるものであるだろう、と。資本制市場経済の廃棄によって、市場経済あるいは貨幣一般が廃棄されるのではない。消費ー生産協同組合とLETSによるグローバルなネットワークは、自給自足的な共同体への回帰ではなく、開かれた市場経済なのだ。
では、発展途上国における革命はどのようなものとなるのか。かつて途上国は「第三世界」と呼ばれたが、それは冷戦時代の世界政治―経済システムにもとづく概念である。その背景には、途上国を次々と世界市場から独立させ、それらを社会主義陣営に入れていくならば、世界資本主義は崩壊するというマルクス主義者の戦略があり、また、それを阻止しようとする先進資本主義国家の戦略があった。一九八九年において、前者の戦略は崩壊した。かくして資本主義のグローバリゼーションが起ったのである。すでに、途上国の側に、それらを「第三世界」として統合するような理念はないし、また、実際に、その経済発展の段階において多岐に分かれている。しかし、大半の途上国は、圧倒的な国際資本とそれに従属する資本や土地所有のもとで、伝統的な第一次産業を崩壊させられ、極端な窮乏化を迫られている。そのような状態は、資本主義的な世界市場によって生み出されたものであり、今後も再生産されるだろう。しかるに、世界市場から自己を隔離して国家主義的に経済を発展させるというような可能性はもはやない。では、もはや対抗する方法がないのか。唯一の方法は、すでに述べたように、地域通貨による流通システムを築き、そのもとに生産―消費協同組合を組織していくこと、そして、それを先進国の生産―消費組合とつなげていくことである。それは非資本主義的な交易であり、また、国家を媒介しないネットワークによる交易である。先進資本主義国における資本主義=ネーション=ステートへの対抗運動は、一国の範囲に限定されえない。それは途上国を無視しては成立しない。実際、地球温暖化をはじめとする環境悪化が進行しているとき、それがグローバルな運動でなければならないことは明白である。
C-4 NAMは、その組織と運動形態自体において、実現すべきもの(参加的民主主義や多様体的アソシエーション)を体現する。
今日マルクス主義者は、マルクスの「プロレタリア独裁」という概念を否定するか、もしくはそれについて沈黙している。一九世紀末、ドイツの社会民主党が議会で躍進したとき、すでにエンゲルスは「プロレタリア独裁」を放棄している。のちに、レーニンがそれを復活させたが、それは党―官僚独裁に終り、今やマルクス主義者は誰もそれについて言及しない。しかし、それは忘れられるべきどころか、積極的に再考さるべき問題である。「プロレタリア独裁」は、いうまでもなく「ブルジョア独裁」に対応する概念である。その場合、「ブルジョワ独裁」は代表制(議会)民主主義を意味している。絶対主義的専制を打倒してできた民主的議会制が、すなわちブルジョワ独裁である。であるなら、マルクスがいう「プロレタリア独裁」が、ブルジョア独裁以前の封建的専制や絶対主義的独裁のようなものに戻ることであるはずがない(事実はそうなってしまったが)。ブルジョア国家は独裁が再現されない仕組みを考えた。三権分立や無記名投票である。しかし、ブルジョア国家における三権分立は事実上有名無実である。それはただ、市民社会と政治的国家の二重化を支える原理でしかない。
マルクスはパリ・コンミューンに「プロレタリア独裁」の具体的なイメージを見出している。パリ・コンミューンは、アナーキスト(プルードン派)によってなされたもので、いわゆる「マルクス主義的」ではない。しかし、マルクスがそれを高く評価したのは唐突ではない。それは初期マルクスの国家論の必然的な延長である。
マルクスはその仕事を、ヘーゲルの『法哲学』の批判から開始している。彼がそこに見いだしたのは、近代国家における市民社会と政治的国家、私人と公人の分離である。各人は、公人としては対等であるが、私人としては資本制経済のもたらす階級的生産関係に属している。そして、公人として、各人がもつのは立法権、というより、代表者を選ぶ参政権だけであって、行政権をもたない。たんに選挙に投票できるというだけが、「国民主権」の実体である。たとえば、民主主義国家において、企業や官庁の中に民主主義があるかどうか考えてみればよい。それに対して、パリ・コンミューンは立法機関であると同時に行政機関であった。そこでは、すべての司法官と行政官僚を選挙するとともに解任できる制度があった。その意味で、これは近代国家における市民社会と政治的国家の二重性の揚棄である。
しかし、そのように公人と私人の二重性が揚棄された「社会的国家」においても、立法・行政・司法という区分は残る。参加的民主主義を持続的に保証するためには、ブルジョア国家における三権分立とは違った意味で、これらの区分に注意しなければならない。たとえば、パリ・コンミューンもまた立法部門と行政部門・司法部門をもっている。そこでは、すべての司法官と行政官僚を選挙するとともに解任できる制度があった。だが、それによって官僚制化、つまり立法・行政・司法における代表者や官僚の固定化を阻むことができるだろうか。マックス・ウェーバーがいったように、官僚制は、分業の発展した社会においては不可避的であり、また不可欠でもある。それをただちに否定することはできない。むしろ、われわれは、アソシエーションも代表制や官僚制をもつことを認めなければならない。そして、諸個人の能力差や権力欲が存在することを認めなければならない。ただ、それらが現実的な権力に固定的に転化しないようにすればいいのだ。
この点で、われわれはアテネの民主主義から学ぶべきことが一つある。アテネの民主主義は、僭主制を打倒するところから生まれたと同時に、僭主制を二度ともたらさないような周到な工夫によって成立している。アテネの民主主義を特徴づけるのは議会での全員参加などではなく、行政権力の制限である。それは官吏をくじ引きで選ぶこと、さらに、同様にくじ引きで選ばれた陪審員による弾劾裁判所によって徹底的にそれを監視したことである。実際、こうした改革を成し遂げたペリクレス自身が裁判にかけられて失脚している。要するに、アテネの民主主義において、権力の固定化を阻止するためにとられたシステムの核心は、選挙ではなくくじ引きにある。くじ引きは、権力が集中する場に偶然性を導入することであり、そのことによってその固定化を阻止するものだ。それこそが真に三権分立を保証するものである。かくして、もし匿名投票による普通選挙、つまり議会制民主主義がブルジョワ的な独裁の形式であるとするならば、くじ引き制こそプロレタリアート独裁の形式だというべきなのである。アソシエーションは中心をもつが、その中心はくじ引きによって偶然化されている。かくして、中心は在ると同時に無いといってよい。
一方、アテネ民主主義システムから多くを学んだにもかかわらず、プルードンはブルジョア的普通選挙を批判したとき、それをくじ引き同然だといって非難している。選挙は代表する者と代表される者を固定的に分離させてしまう。しかし、アソシエーションにおける選挙も結局はそうならざるをえないだろう。決まって同じ人が選ばれることになり、また内部的な派閥を生み出すことになる。とはいえ、全部をくじ引きで決めることは無意味であり、結局、それ自体が否定されてしまう結果になるだろう。たとえば、アテネでも、軍人はくじ引き制にもとづいていない。今日、くじ引きが採用されるのは、陪審員や、誰がやってもよく、そして誰もやりたがらないようなポストに関してのみである。つまり、くじ引きは、能力が等しいか、あるいは能力が問われない時にのみ採用されている。しかし、われわれがくじ引きを採用するのは、その逆である。それはむしろ選挙を腐敗させないため、また、相対的に優れた指導者を選ぶためである。
それゆえ、われわれにとって望ましいのは、たとえば、無記名(連記)投票で三名を選び、その中から代表者をくじで選ぶというようなやり方である。そこでは、最後の段階が偶然性に左右されるため、派閥的な対立や後継者の争いは意味をなくす。その結果、最善でないにせよ、相対的に優れた代表者が選出されることになる。くじに通った者は自らの力を誇示することができず、くじに落ちた者も代表者への協力を拒む理由がない。このような政治的技術は、「すべての権力は堕落する」などという陳腐な省察とはちがって、実際に効力がある。このように用いられるとき、くじ引きは、長期的に見て、権力を固定させることなく、優秀な経営者・指導者を選ぶ方法である。
くりかえすが、われわれは、権力志向という「人間性」が変わることを前提すべきでなく、また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきでもない。労働者の自主管理や生産協同組合においても、この問題は消滅しない。特に資本制企業と競争しなければならないとき、それらは大なり小なり資本制企業の組織原理を採用するか、さもなければ消滅するかを迫られる。であれば、最初から、ハイアラーキー(位階)が存在することを前提しておくべきである。ただ、それが各人の合意によって成立し権力の固定化が生じないように、選挙とくじ引きを導入すればよい。
ところで、国家と資本に対抗する運動は、それ自身において、権力の集中する場に偶然性を導入するというシステムを導入していなければならない。そうでなければ、こうした運動は、それが対抗するものと似たようなものになるほかない。他方、集権主義的なピラミッド型組織を否定するところから始まった、様々な市民運動は、逆に、離散的で断片的なままの離合集散に留まっている。そして、結局、議会政党の票田となるだけである。そうであるかぎり、それらが資本と国家に対して、有効な対抗をなしうるとは思えない。しかるに、もしこのような政治的技術を導入すれば、中心化をすこしも恐れる必要はない。NAMは、参加的民主主義の実現を目標とするだけでなく、その運動形態において、それを具現していなければならない。マルクスは、「われわれは、現状を止揚する現実の運動を、共産主義と名づけている」と述べた。NAMは「現実の運動」そのものにおいて、コミュニズムを実現しなければならない。さもなければ、それが将来において実現されるはずがない。そのために、組織原則の項において明らかなように、NAMは、三つのシステムを採用する。一つが、代表選出のくじ引き制であり、もう一つが、個人の多次元的所属であり、さらに、LETSである。
C-5 NAMは、現実の矛盾を止揚する現実的な運動であり、それは現実的な諸前提から生まれる。いいかえれば、それは、情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである。したがって、NAMは歴史的な経験の吟味の上で、未知のものへの創造的な挑戦を目指す。
資本制経済の発展段階は、重商主義、自由主義、帝国主義、後期資本主義、などといった諸段階として区別されている。このことを具体的に理解するためには、世界商品の交替という観点から見ればよい。たとえば、重商主義時代の世界商品は毛織物であり、自由主義時代のそれは棉製品であった。つまり、一九世紀前半まで世界を制覇した大英帝国を支えた資本制生産とは、繊維工業にほかならなかったのである。それは巨大資本を必要としない。マルクスは『資本論』において、株式会社と並んで競い合うものとして生産協同組合を考えていたが、それはまもなく急激に色あせてしまった。しかし、それはたんに株式会社に敗北したためではない。イギリスの株式会社もまた、重工業化の段階で、国家的な巨大資本にもとづくドイツとの競争において沈下していったのである。基本的に繊維産業が中心であった段階では、生産協同組合は株式会社に或る程度拮抗できたのだ。この後、エンゲルスやドイツ社会民主党は、資本の巨大化をむしろ歓迎し、それを社会化(国有化)すれば即ち社会主義だと考えるようになったため、生産協同組合を軽視しはじめた。
一九世紀後半の重工業段階への移行は、慢性的な不況と失業を生み出した。それは政治的には帝国主義をもたらし、第一次大戦においてそれが爆発した。第二次大戦はその延長として生じたが、同時に、一九三〇年代にそれ以前とは異質なものが生じたことを見落とすべきではない。それはファシズムであれニューディールであれ、国家が経済過程にケインズ主義的な介入をはじめたことである。それは、世界商品という観点から見れば、耐久財(自動車・電気製品)への移行である。以来、大量生産・大量消費(フォーディズム)の時代が続いてきた。それが世界的に飽和点に達したのが一九八〇年代である。以後、資本は、狭義の生産過程における発展よりも、流通過程あるいはコミュニケーションの圧縮(デジタル化)によって剰余価値を確保することを目指すようになった。かくして、世界商品は、いわば「情報」に移行している。いわゆるデジタル化は、旧来の生産関係や産業構成における激烈な変化をもたらしている。とりわけ、旧来の生産関係が解体されるのは、これまで流通において中間搾取してきたギルド的な商業資本(取り次ぎ、問屋、配給会社など)の分野においてである。生産者と消費者が直接的に交換しあうシステムがそれにとってかわる。このような変化が、大量の失業と労働の再編成を招来することは不可避的である。
一九八〇年代に進行し九〇年代に顕在化したこのような変化は、その規模において、一八六〇年代に進行し七〇年代に顕在化した変化――それは七三年の世界恐慌としてあらわれ、以後慢性不況、資本輸出、帝国主義への転化が生じた――に匹敵する。しかし、同時に、現在の変化は、その時期に形成されたプロシャ型の国家資本主義やコーポラティズムに代表されるような現代資本主義の形態をディコンストラクトするものである。「新自由主義」と呼ばれる事態は、その点で、経済的・軍事的にイギリスの圧倒的優位のもとにあった「自由主義」段階に類似するといってよい。たとえば、一八六〇年以後に重工業化=巨大資本化が生じたとしたら、一九八〇年代後の「情報資本主義」への移行がもたらすのは、その逆に、国家的なコーポラティズムに依存した巨大企業の解体を通して進行する国際的資本による独占・寡占の拡大と、これと並行して進行する、(ベンチャー企業に見られるような)中小企業の興隆である。この場合、中小企業を協同組合やLETSを用いて、非資本制的なアソシエーションとして組織することが可能である。その意味で、現在はむしろ、マルクスがイギリスで生産協同組合に注目した時期に類似してきたといえる。
われわれは、世界資本主義の発展がもたらす状況に対して、楽観的ではないが、悲観的でもない。というのは、資本制経済の深化は、同時に、自らを滅ぼすための諸条件を作り出すからである。この弁証法は、近年の例でいえば、インターネットに見出せる。それは、冷戦時代にアメリカの軍事的な防衛策として生まれ、また、資本によって活用されているが、今や、それは資本と国家に対抗する運動にとっても不可欠な手段である。同じことが電子マネーについていえる。それは資本にとっての武器であるだけでなく、LETSをグローバルに展開するためにも不可欠である。New Associationist Movementは、根本的に、サイバースペースなしには不可能である。したがって、資本主義への対抗は、ロマン主義的な回帰やノスタルジーとは無縁であって、資本主義によって生じた世界的な交通の中でしかありえない。
D―1 NAMは、諸個人の自由なアソシエーションである。個々人はNAMの内部で一定のルールに従うほかには、自らの主権を保持する。個々人は他の組織や運動に属してよい。むしろ、そのことによって、他の分散した組織や運動を媒介することを目指すべきである。
NAMは、諸個人の自由なアソシエーションである。NAMの中に秘密はない。すべての発言は記録され、会員がいつでも参照することができる。個々人はNAMの内部で一定のルールに従うほかには、何の拘束も受けない。個々人は、それまでに所属する組織――企業であれ組合であれ政治団体であれーーを辞める必要はないし、また今後、別の組織に参加してもよい。NAMは無から何かを作り出すものではない。それは、現実に資本=ネーション=ステートが作り出した諸条件、そして、諸矛盾から出発し、それを可能なかぎり組替えていく運動である。NAMは、これまで分散し相互に隔絶し対立しているような運動や組織を媒介し、異種結合し、再活性化することを目指す。しかし、それを果たすのは個々の会員である。
D-2 NAMが企画する、あるいは会員が非会員とともに形成する組織や運動は、それぞれ自律的であり、NAMから区別される。それらが他の組織や運動と提携することはあっても、NAMがそうすることはない。
NAMは自ら、諸個人の分業と協業によって、さまざまな情報や認識を結集し発展させ、新たなプロジェクトや闘争を提起する。だが、NAMが組織としてそれを実行するのではない。それを実行するのはあくまで個々人であり、そのチームである。その結果として形成される運動や組織は、非会員をふくむものであり、NAMとは別のものである。そして、それ自身の自律性と責任をもつ。その場合、国家と資本の規制の中で、プラグマティックな妥協や他の組織との提携をするほかないし、そうしてもよい。しかし、NAMがそうすることはない。
NAMは個々人のアソシエーションであって、それを規制しているのは、入会者が合意した「プログラム」と「組織原理」だけである。NAMは資本=ネーション=ステートというガンのなかに、対抗ガンを作り出す運動であるが、いわばその遺伝子がプログラムと組織原理である。したがって、NAMが組織として拡大するかどうかは重要ではない。「NAM的なもの」が対抗ガン細胞として現実に定着するかどうかだけが重要である。NAM が目指すのはそれ自身の組織的拡大ではない。「NAM的なもの」の散種である。
D-3 NAMは次の三つの領域からなる。関心系、地域系、階層系。それらはそれぞれ複数の部門をユニット(単位)としてもつ。各人は、同時に、これら三領域に属する。関心系の場合、各人は複数の単位に所属してよい。各ユニットは、それぞれ自律的なアソシエーションであり、代表および事務局をもつ。これらのユニットから選ばれた代表がセンター評議会を構成する。また、そこで代表が選ばれる。代表は、どのレベルでも、互選とくじ引きによって選出される。規約改正などの重要な議題に関しては、全会員による討議と投票がなされる。
NAMの組織論の特質は、各個人の交差的な多次元的所属にある。NAMにおいて、諸個人は二つ以上のカテゴリーに属さなければならない。それは第一に、各人の「関心」対象による区分である。第二に、地域(外国も含む)による区分である。第三に、階層系として、学生と引退者という区分がある。関心系・地域系・階層系の各セクションは独立したアソシエーションであり、それぞれNAM**と名乗ることができる。以下、三つのカテゴリーについて簡単に説明する。
*1 関心系について
NAMは、階層にもとづく各種団体の集まりではなく、あくまで諸個人のアソシエーションである。しかし、それは市民運動的ネットワークとは異なっている。人々は、それぞれ、多くの社会的関係の次元に属している。生産関係だけでなく、ジェンダー、家族、エスニック、民族、国家などの次元に。それらは時に相互に矛盾する場合もある。これまでの組織の多くは、それらのうち、一つのinterest(利益・関心)で構成されるか、または、そのような具体的要素を捨象した市民や消費者といった漠然とした存在の次元でのみ構成されてきた。その結果、他の次元(社会的関係)を捨象するため、視野や関心が狭く限定されると同時に、捨象された別の次元が、内部での対立として回帰することになる。かくしてそれらの運動や組織は排他的に閉じられるか、分裂するか、あるいは拡散する結果に終らざるをえない。
マルクスはいう。《「人間」とは社会的諸関係の総体ensembleである》(『フォイエルバッハにかんするテーゼ』)。つまり、個人の中に「人間」や「類的本質」などが潜んでいるわけではない。個人の「本質」とは、それらの社会的諸関係の総体でしかない。「人間」や「市民」とかいう想像的観念は、そのような多元的で錯綜した諸関係を隠蔽してしまう。NAMは諸個人のアソシエーションである。しかし、それは、個人が置かれている多元的な社会的諸関係を捨象しない。関心系と呼ばれる諸区分にはそれらが保持されている。諸個人は彼らの希望する関心系・地域系などのセクションに複数所属することができる。関心系・地域系の追加や変更はいつでも可能である。市民運動の多くは、それぞれ、一つの課題・主題によって成立し、それによって閉じられている。もちろん、それらが自律的であることは必要である。それらの運動は、他の次元を追加したり、あるいは別の次元に従属するならば、その次元の固有性を失ってしまうからだ。しかし、NAMにおいては、個人は同時に多数の関心系セクションに属することによって、それらを媒介することができる。
以下に、関心対象による区分を示す。これらは、資本制経済における内在的な対抗運動と、超出的な対抗運動に大別することができる。むろん、ここに列挙した区分は一例にすぎず、会員の関心によってつねに変更され、多様化・分節化されるだろう。それぞれのセクションは、それに固有の課題をもつがゆえに自律的であるが、同時に、他のセクションと交差し、相互に協力しあう。
a 内在的な対抗運動
環境
労働/消費者運動
農業/消費者運動
福祉
出版
メディア
エスニック・マイノリティ
フェミニズム
レズビアン・ゲイ
コンピュータ・インターネット
税
法律
科学
宗教
――
b 超出的な対抗運動
生産・消費協同組合
LETS
企業組合
NPO
フリー・スクール
第三世界との連携運動
――
*2 地域系について
関心系に参加した者は、自動的に、各自が居住する、あるいは活動する地域に登録される。そのことで、それまで同地域にいながら互いに疎遠であった人たちが結びつくことになる。逆に、地域でのつながりからNAMに参加する者は、同時に、関心系に属することで、地域を超えることになる。ところで、別の観点から見れば、関心系も、物理的な地域空間ではないが、位相空間として「地域」であるといってよい。諸個人は一定の地域に属すると同時に、関心系などの位相空間においてグローバルな「地域」に属している。NAMは、このような多元的「地域」からなるリゾーム的アソシエーションであって、国際連合や「インターナショナル」のように国家を単位とするものと異なっており、また、たんなる諸個人の国際的ネットワークとも違っている。NAMは、Think globally, act locally というようなスローガンをわざわざ唱えないが、組織原則においてそれを実現する。たとえば、NAMは先ず日本において始められる。しかし、NAMは根本的にトランスナショナルな組織であって、空間的に限定されるものではない。NAMがグローバルなアソシエーションとなったとしても、以上に述べた原理は不変である。そのとき、「日本」は一つの地域と見なされる。
その意味で、われわれは地域系よりも関心系を重視する。地域系から出発すれば、ローカルな閉鎖性や排他性に陥りやすいからである。しかし、このことは地域、あるいは現実の生活空間を軽視することではない。関心系から始めることによって、地域があらためて重要な意味を帯びる。たとえば、NAMが何かのプロジェクトを構想するとき、それは先ずサイバースペースに存在するチーム、すなわち複数の関心系セクションの間でのネットワークにおいて討議検討されるが、それを実行する段になると、現実のスペース、すなわち、地域の人々の協力が不可欠である。さらに、地域での実践の経験がプロジェクトチームをへて,各関心系へとフィードバックされ,そこでさらに問題点が討議されることになる。このように、関心系と地域系は具体的プロジェクトを媒介にして相互に補完しあう。
*3 階層系について
NAMは、実体的な階級・ジェンダー・エスニックその他の区別にもとづく集まりではない。それはあくまで諸個人のアソシエーションである。個々人は、複数の関心系セクションに属することによって、これまで相互に切り離されたさまざまな組織や運動を媒介しアソシエートする。にもかかわらず、われわれは、次の二つのみを社会的階層として認める。学生と引退者、あるいはそれらに準ずる者である。生産関係その他にもとづく実体的な階層が共時的な区分であるとすれば、学生や引退者は、誰もが通過する通時的な区分である。われわれがこの二つを特に階層として認める理由は、次の点にある。一般に、壮年期の人間が何らかの組織に所属し職業に従事するがゆえに、特殊な利害・関心と力をもつとすれば、学生(青年期)はまだ何者でもない存在であるがゆえに特殊利害を超える「抽象的な」普遍性をもち、引退者(老年期)はもはや何者でもない存在であるがゆえに特殊利害を超える「具体的な」普遍性をもつということができる。われわれが階層系として学生と引退者のセクションを設定するのは、それらが逆に実体的な階層を超えるものだからである。
歴史的に、学生運動が社会変革において大きな役割を果たしてきたことはいうまでもない。それは労働運動や市民運動が暗黙に特殊的利害で動いているのに対して、学生運動にはそれがないからだ。にもかかわらず、こうした学生のあり方は、たえず非難されてきた。保守的な側から、学生が理想主義的であり世間の現実を知らないといわれるのはまだしも、マルクス主義者の側からも、学生運動はそのプチブルジョア性を否定してプロレタリアートの運動に従属すべきだといわれてきた。旧来の運動は、実際には学生運動に大きく依存しているにもかかわらず、学生を副次的で非本質的な存在として位置づけ、それを破壊してきたのである。彼らは学生という階層の独自の位相を見ていなかった。引退者についても同じことが言える。彼らは資本と国家に奉仕したのちに不要とされた者である。だが、彼らはたんに退職金や年金や福祉をもらいながらおとなしく死んで行く存在である必要はない。これまで拘束されてきたものから自由になった引退者は、すべての豊かな経験を活かして、これまで彼らを拘束してきたもの、すなわち、国家と資本への対抗運動に、残る生涯を積極的に生きることができる。
D−4 NAMは、ブルジョア国家において有名無実にすぎない「三権分立」を真に実現する。上記の意思決定機構のほかに、執行機関としてセンター事務局や各種委員会があり、監査機関として監査委員会がある。執行機関はそれぞれセンター評議会によって任命され、監査委員会は直接に全会員からくじ引きで選ばれる。
意思決定機構は次の通りである。地域系・関心系・階層系はそれぞれ代表者をもち、事務局をもつ。ただし、一つの代表者は、他のセクションの代表者を兼ねることはできない。地域・関心・階層のすべての代表者たちで構成するのが、「アソシエーションのアソシエーション」としてのセンター(代表者評議会)である。さらに、「センター」においても、代表者が選出される。どのレベルでも、代表者は、無記名投票(三名連記)で三人を選んだ後、くじ引きによって決められる。残りを副代表とする。代表者の任期は一年とするが、その間に要求があればリコールされる。
行政的機構として、センター事務局と各種委員会がある。これらはセンター評議会から任命される。センター事務局は輪番制によって、各地域が担当する。いいかえれば、物理的空間としては、すべての地域が中心となる。
一方、司法的機構としての監査委員会は、以上の二機関から独立した存在である。したがって、それは全会員からくじ引きで選ばれる。監査委員会は、各地域、センター評議会、センター事務局などに生じる規則違反あるいは対立に対して、公正に対処する。また、代表などに対するリコールは、監査委員会の審議によって決められる。
NAMは秘密をもたない。ゆえに、重要な議題や争点がすべてのメンバーに知らされ、且つ、いつでも参照できるようにすべての通信記録が保存される。
D-5 NAMは倫理的―経済的なアソシエーションである。強制はいうまでもないが、一方的な奉仕や自己犠牲も認められない。したがって、その中での労働はボランタリーであるが、LETSによって支払われる。また、外部からの寄付に対しても、LETSで返却される。
NAM会員・賛助会員あるいは非会員による献金、労働、サーヴィスの提供に対しては、LETSで支払われる。このことは、ボランティア的な活動を、たんに一方的贈与・自己犠牲的な奉仕としてでなく、自主的で開かれた互酬的交換として見なすことである。NAMの「多元的所属」という組織原理は、Multi-LETSに対応するものであり、その意味でも、NAMは倫理―経済的な運動組織である。
D-6 以上の組織論に関する一般的な解説
カール・ポランニーは、資本主義(市場経済)をガンに喩えた。それは農業的共同体や封建的国家の「間」に始まり、やがて内部に侵入してそれらを自らに合わせて作り変えたが、依然として寄生的存在である。われわれが組織する、労働者=消費者のトランスナショナルなネットワークは、資本と国家というガンに生じる対抗ガンになぞらえられることができよう。資本は、それを取り除くためには自己自身を可能にした条件を取り除くほかはない。流通の場を拠点とした、内在的且つ超出的な対抗運動は完全に合法的であり、非暴力的であり、いかなる資本主義=ネーション=ステートも手の出しようがない。
しかし、われわれが問うべきなのは、こうした対抗運動が対抗ガン的なものであるためには、いかなる条件を備えていなければならないかということである。国家権力を打倒する、あるいは奪取するという考えは、つねに、そのような運動を「国家」に似せさせる。つまり、中央集権的なツリー型の組織となる。ボルシェヴィズムのみならずバクーニン主義(秘密結社)もそうであった。だが、それは国家によって弾圧されるか、または、勝利したとしても、それ自体が国家となることによって、国家が生き延びる。一方、議会を通して国家権力に参与しながら社会を変えていくという社会民主主義的戦術は、まさに国家が歓迎するものである。それは現代国家のシステムの一環にすぎない。それらに対して、資本主義=ネーション=ステートに対抗する運動は、資本や国家やネーションの交換原理とはちがったものとしてのアソシエーションを、そして、「アソシエーションのアソシエーション」を徐々に作りあげるものである。その場合、この運動は、それが達成すべきものを自らにおいて実現していなければならない。なぜなら、アソシエーションは、国家権力を握って後に実現されるものではなく、それ自体、国家にとって代わるものでなければならないからである。
その意味で、この対抗運動は一面において国家と似ていなければならない。それは、つまり、「中心」をもたなければならないということである。そうでなければ、それは「アソシエーションのアソシエーション」となりえないからだ。それは、せいぜい、資本主義=ネーション=ステートの中の局所において、反抗する小さな運動、あるいは美的な運動にしかならない。一九九〇年代、ソ連の崩壊以後に顕著になったのは、その傾向である。一九六八年以後世界的に、それまでのように集権的な党によって支配されてきた革命運動は変わった。そこから出てきたものは、エスニック、女性、レスビアン・ゲイなどのマイノリティの運動、消費者の運動、環境運動その他のように、労働運動を軸とした集権的な運動において副次的と見なされてきた運動である。ウォーラシュテインはそれらを反システム運動と呼んでいる。また、それらは、ドルゥーズ&ガタリに従って、「分子的」(モレキュラー)と呼んでよい(集権的な運動組織はそれに対してモル的である)。これらの運動は、もはやそのような言葉は使われないとしても、基本的にアナーキズムの復活であり、同時に、かつてアナーキズムがもった問題を内包している。すなわち、それらは「中心化」を極度に恐れるために、分散化し分裂し、結局、社会民主主義的な政党に収斂することになってしまうのである。すでに、一九八〇年代初めに、フレドッリク・ジェームソンはそのことを指摘している。彼はこのモレキュラーな運動の意義を認めながら、アメリカの文脈では、その逆の要素が必要だといっている。
ここで、論争そのものの社会的解釈をつきあわせてみるのも、あながちむだではあるまい。つまり、この論争を、フランスと合衆国という構造的に異なる国家的コンテクストのなかで左翼勢力が直面している異なる状況を示す象徴的指標として考えようというわけだ。フランスにおける全体化批判は、「分子的」つまり局所的で非全体的で党との伝統的な関係形態は棄却されるのだが、そこに反映しているのは、フランスにおける(制度ならびに、制度に反対する側双方を支配している)中央集権化の歴史的重圧であり、さらに、「反構造的」と、とりあえず呼べる運動の遅れた登場であり、それと軸を一にした、古い細胞家族装置に破綻ならびにサブグループや対抗的な「ライフ・スタイル」の増加である。これに対し、合衆国では、フランスの対抗勢力がめざしていた社会的断片化は、もう、かなりのところまで進んでいるため、逆に、左翼あるいは「反体制的」諸力がひとつにまとまり、長期的、効果的な闘争をくりひろげるのが、むつかしくなったのだ。民族グループ、近隣組織運動、フェミニズム、さまざまな「対抗文化的」つまりオルタナティヴな生活様式を求めるグループ、一般組合員による反対闘争、学生運動、シングル・イシュー運動――合衆国では、こうした、さまざまな運動が、理論面では他との一致点をみつけられそうにない、またなんらかの実践的な政治基盤にたって協調することができないような要素や戦略を、ただ、やみくもに打ちだしているだけ、という印象をあたえた。それゆえ、もし今日のアメリカの左翼が発展できるならば、その際、特権化されるべき形式は、≪政治的連帯≫でなければならない。この政治的姿勢は、理論面での全体化概念を、実践の場に、そっくりそのまま置き換えたものである、と。こう考えてくれば、実際のところ、「全体性」の概念を攻撃することは、アメリカの枠組みのなかでは、この国に真の左翼を誕生させうる唯一現実的な条件を、切り崩し、却下することにほかならない。したがって、理論的闘争を、それが発生したもとの国家的状況――ここではフランス――とは異なる状況に移入し翻訳することは、大いに問題がある。もともとの意味内容が、移入と翻訳によって、がらりと変わってしまうのだから、たとえば、フランスでは、地域の自立をめざす運動、女性解放運動、近隣組織運動は、さまざまなかたちで生まれつつあるものの、合衆国とはちがい、包括的な、いわゆる「モル化された分子」を重視する伝統的な左翼大衆政党が、そうした運動を抑圧してしまう、あるいは運動の芽を摘みとってしまうと、みなされているのだ。
(大橋洋一他訳『政治的無意識』平凡社 pp.441-2)
これは実は、ルカーチの「全体性」理論とは違って、基本的にトランスクリティカルな認識である。ところで、ジェームソンがアメリカについて述べた現象は、もはやアメリカに固有のものではない。一九九〇年以後は、世界的にそうなっているのだ。先進資本主義国で反システム的運動は続いているが、「全体化」、すなわち中心化や代表制を恐れるために、さまざまな運動は相互に孤立し、且つ内部において分裂している。その理由は明らかである。たとえば、女性、同性愛者、エスニック・マイノリティーなどの運動は、それぞれ、一つの主題のもとに集まっている。それらは旧来の生産関係や階級関係を優位におく運動に対して、それらに還元できない次元を取り上げた。しかし、個々人はあくまで様々な社会的関係の次元に生きているのであって、それらを還元することで成立した運動には、捨象されたものが諸個人を通して別の形で回帰してこざるをえないのである。そこで、一つの次元での同一性を基盤にした運動が、それが括弧に入れた別の次元における差異の回帰によって、内部的対立に追い込まれる。また、多くの地域で、消費者運動は労働運動と対立している。そして、これら、相互に対立し孤立する分子的な運動を統合するのは、結局、社会民主主義的な政党なのだ。かくして、中心化を拒否し、代表されることを拒否した運動は、国家権力の一環である政党に「代表」されるか、さもなければ、ローカルな反抗にとどまるしかない。いいかえれば、それは、資本主義=ネーション=ステートに回収されてしまうか、それをそのまま放置するものとなる。
NAMが出発するのは諸個人である。しかし、抽象的な諸個人ではなくて、社会的な諸関係のなかに置かれた諸個人である。諸個人は、ジェンダーやセクシュアリティ、エスニック、階級、地域、その他の様々な関心の次元に生きている。それゆえ、対抗運動は、それぞれの次元の自立性を認めつつ、したがってまた、諸個人のそれらへの多重的所属を認めつつ、それら多数次元を綜合するようなセミラティス型システムとして組織されなければならない。具体的にいえば、それは、それぞれの次元の代表から構成される中央評議会によって綜合される。その場合、それらの代表選出において、選挙のみならずくじ引きが導入されるべきである。そのことによって、中心があると同時に中心がないような組織が可能となるだろう。
「アソシエーションのアソシエーション」はツリー型の組織、あるいは、それらの並列的合成ではありえない。資本と国家に対する内在的な闘争と超出的闘争は、流通過程、すなわち、消費者/労働者の場においてのみつながる。なぜなら、そこでのみ、個々人が「主体」となりうる契機が存するからである。そして、アソシエーションとは、あくまでも個々人の主体性にもとづくものである。しかし、右に述べたようなセミラティス型組織においては、諸個人の意志をこえた、そして諸個人を条件づける多次元の社会的諸関係はけっして捨象されないのである。そして、それを実現するのが「NAMの原理」である。
われわれはここで、一九世紀以来の社会主義の歴史を考えて見よう。というのは、以上の問題は、マルクスとシュティルナー、プルードンとの対立において、すでに明瞭にあらわれていたからである。たとえば、バクーニンは、マルクスが権威主義的で独裁的であることを盛んに主張した。しかし、それはマルクス主義者について当てはまるとしても、マルクスについては誤解であり中傷にすぎない。別の所で述べたように、マルクスは、国家に依拠するラッサールやエンゲルスと違って、基本的にプルードンのアソシエーショニズムを認めていた。むしろだからこそ、「批判」したのである。同様に、NAM(新たなアソシエーショニズムの運動)は、アソシエーショニズムを受け継ぐとともに、それに対する「批判」をふくんでいる。
アソシエーショニズムは、プルードンの「連合の原理」(ただし、後期プルードンは通常のアソシエーションと区別するために、それをfederationと呼んでいる)において明確に定義されている。プルードンは、権威と自由をアンチノミーとしてとらえている。それは、いわば、「中心があってはならない」と「中心がなければならない」という二つの命題が成立しなければならないということである。たとえば、アナーキストは一般に「権威」を否定するが、そのことがたんに混沌・混乱をもたらすだけなら、むしろ裏腹に「権威」が復活してしまう。プルードンにとって、アナーキズムは権威と自由の二律背反を超える、もう一つの「秩序」でありgovernmentである。バクーニン以下の、もっぱら破壊と混沌を好むアナーキストたちは、そのような認識をもっていない。彼らは、破壊のあとに、「大衆」が自然に、自発的に新たな秩序を作りだすだろうと信じていたにすぎない。実際は、プルードンがいったように、「大衆」はむしろ強い権威を求めるのだ。逆に、マルクスは、プルードンのいうアンチノミーをつねに考えていたといってよい。したがって、マルクスがバクーニンを批判したとき、彼は権威主義者としてそうしたのではない。むしろ、マルクスはプルードンが見出した「権威と自由」のアンチノミーという問題を、バクーニンよりも深刻に受けとめていた。実際、マルクスはプルードン派の構想が実現されたパリ・コンミューンを賞賛し、そこから「可能なるコミュニズム」のヴィジョンを得たのである。しかし、アナーキストと同様に、マルクス主義者はこの出来事から何の教訓も得なかった。
NAMの「原理」は、あらためてこの課題の解決をはかろうとするものである。ところで、プルードンは、このようなアンチノミーを解決する「原理」をfederationに見出して、次のようにいっている。《政治の問題とは、権威と自由という二つの相反する要素間の均衡を見出すことにある。あらゆる誤った均衡は、ただちに、国家にとっては混乱と崩壊とを意味し、市民にとっては抑圧と悲惨を意味する。いいかえれば、社会秩序の異常ないし乱れは、二つの原理の対立から由来する。それらは二つの原理が調整され、したがってもはや害し合うことがなくなった時に消滅するだろう。二つの力(権威と自由)を均衡させること、それは、それらを相互に畏敬させ、仲直りさせる、一つの法にそれらを限定させることである。何が権威と自由とに優越する新しい要素、双方の同意によって制度の特徴となる新しい要素を、われわれに供給するのであろうか、――それは契約であり、その文面が対立する二つの力に対し、法となり、強制力を働かせるのである》(『連合の原理』P377)。
したがって、アソシエーションとは契約によってなりたつものであり、それが法でもある。ただし、この契約は通常のルソー的「社会契約」とは違う。それに関して、プルードンはつぎのようにいう。《政治的契約が、民主政治の思想が示唆する双務的、実定的な条件を満たすためには、懸命な限界のうちにとどめられ、契約がすべての人々にとって有利な便利なものであるためには、市民は提携組織の中に入りながら、第一に彼が国家に捧げるのと同じだけ国家から受けとること、第二に、契約を結んだ狙いであり、それにもとづいて国家に保証を要求する特別な目的がない限り、市民はあらゆる彼の自由、主権、発議権を保つこと、が必要である。このような整理し理解された政治的契約は、私が連合と呼ぶものである》。(p370)《連合の契約とは、限定された一ないし多数の目的のための双務的、実定的な契約であり、しかも、その基本的な条件は契約当事者が、彼らが放棄した以上の主権と行動とを自らに留保するものである》(『連合の原理』p377)。
とはいえ、それはあくまで「法」である。プルードンはそれについてつぎのように言っている。《法は権限をもつ権力から神の名において人間に通告された命令である。これは神学と神秘による定義である。法は事実の関係の表現である。これは、モンテスキューによって与えられた、哲学者による定義である。法は人間の意志の仲裁の規約である。(革命と教会における正義8章参照)これは契約と連合の原理である。外見は変わりやすいとはいえ、真実は一つである。これら三つの定義はいずれかがいずれかに含まれているし、実際は同一のものと見なされなければならない。しかしそれらが生む社会制度は同一ではない。第一のものによって、人間は自分が法とその設定者ないし代表者の臣下であると公言する。第二のものによって、人間は広大な組織の、なくてはならない一部であることを認める。第三のものによって、人間は法を自分のものとし、あらゆる権威、運命、支配から解放される。第一の方式は宗教的人間のものであり、第二は汎神論者のものであり、第三は共和主義者(連合主義者)のものであって、これのみが自由と両立しうる。》(『連合の原理』p363)
この法には、当然、「強制力」がある。アソシエーションは「無政府的」ではなく、一種のガヴァメント、つまり、自己統治self-governmentである。それは、アソシエーションが契約によって成立するということにほかならない。たとえば、NAMには誰でも入ることができる。しかし、そこには「契約」が伴うことが確認されなければならない。この契約によって、各人は何の拘束も受けないし、それまで所属していた組織をやめる義務もない。しかし、会員でありながら、NAM的な組織原則を否定することは許されない。このような契約を認めていない者は、会員の資格をもたない。プルードンは、この「契約」が文として明記されされなければならないといって、つぎのようなfederationの憲法を提起する。
憲法に属する知識はすべてここに見られる。私はそれを三つの命題に要約したい。
1 それぞれが主権をもつ、中ぐらいのグループを形成し、それらを連合の協約によって結合すること。
2 連合した各国家の中に、諸機関分離の法則に基づいた政府を組織すること。――私は権力の中で分離しうるものすべてを分離すること、限定しうるものすべてを限定すること、異なる諸機関ないし役人たちに分離され、限定されたすべてを配分すること、何一つ不分割の中に残しておかないこと、公共の行政をあらゆる公開と監査の条件の下におくことを、いいたい。
3 連合した諸国家ないし地方および自治体権力を中央権力に吸収するかわりに、中央権力の権限をたんに一般的な発議と相互保証と監督の役割に縮減すること。中央権力の命令は、立憲君主政治において、王から発するものすべては、その執行が認められるためには大臣の副著がなければならぬように、連合した諸政府の署名にもとづき、それらの指定した代理人によってしか執行を認められない。 (『連合の原理』382)
NAMは、プルードンが指摘したアンチノミーを踏まえて出発している。そして、このfederationにないものをNAMの「憲法」に加えている。地域系と関心系の区別、多重所属によるセミラティス型組織、くじ引き(プルードンは反対であった)、さらに、multi-LETSである。最後に、くりかえすが、NAMは対抗ガンとしての運動である。NAMの「原理」はいわば遺伝子であって、資本=ネーション=ステートというガンのなかに、対抗ガンを作り出す。したがって、NAMが組織として拡大するかどうかは重要ではない。「NAM的なもの」が対抗ガン細胞として現実に定着するかどうかだけが重要である。NAMは、現実の社会がNAM的になったとき、消滅する。しかし、それまでは潜勢力virtualityとして存続するだろう。
E-1 議決と規則改正に関するルール
NAMのプログラムや組織原理は、それを変えれば非NAM的となってしまうようなものでないかぎり、大多数の合意があれば、変更可能である。むしろ、規約委員会は、会員の討議や経験をフィードバックさせて、諸原理を発展させなければならない。規約委員会の答申は、全会員の投票にかけられる。(ただし、「当面のNAMの組織形態」に関する変更については、全会員の投票を必要としない)。会員がプログラムや組織原則の変更に合意するということは、新たな「契約」を結ぶということである。したがって、変更について異議のある者は、再契約しなくてもよい。
また、一般に、NAMにおける行動の決定は、徹底的な討議によるコンセンサスにもとづく。賛成しない者は参加しなくてもよい。しかし、特に議決を必要とする場合は、以下の規則に従う。
1) NAMのプログラム・組織原則を(表現を別として)変更するためには、全会員の過半数以上の参加による投票において、四分の三以上の同意を必要とする。
2) 一般に、センター評議会において議決が必要な場合、投票による三分の二以上の同意を必要とする。
E-2 行動と通信のルール
NAMの会議はバーチャルな空間において、つまりメーリングリストなどで恒常的に行われる。それは、実際の空間での会合よりも重要であると見なされるべきである。したがって、通信のルールが厳重に守られなければならない。そのために、次のような規約を定める。
1) NAM会員は以下のような行動ルールに従わなければならない。
i) NAMの運動・運営を故意に妨害・侵害してはならない。
ii)暴力や攻撃(威嚇)を行ってはならない。
2) NAM会員は,NAMのすべての通信において,以下のような通信ルールに従わなければならない。
i) 特定の個人や団体(NAMを含む)にたいする誹謗・中傷・名誉毀損に類する発言(個人の人格の否定,プライバシーの侵害を含む)をしてはならない。
ii) 暴力や攻撃(威嚇)を示唆するような発言をしてはならない。
iii) MLで討議中の事柄をNAMの外部に公開してはならない。
iv) 当人の許可なく,NAM内部での通信をNAMの外部で引用転載してはならない。
3)行動ルールもしくは通信ルールのいずれかを侵害した会員には,センター事務局長がルールを遵守するよう警告を発する。一回の警告の後,なお引き続き同様の侵害がある場合には,監査委員会が当該会員のルール違反について審議し,懲罰に関する決定を行なう。ただし,緊急を要する場合には,一時的な処置として,NAM代表もしくはセンター事務局長は自らの判断に基づき,問題の発言を削除したり,当該会員をMLから抹消したり,その会員資格を剥奪したりすることができる。
4)当該会員は,監査委員会が指定する期間内に,監査委員会にたいして自己のルール侵害にたいする弁護や謝罪をおこなうことができる。監査委員会はそれらを勘案して審議を行い,会員資格の剥奪(無期限/有期限)や回復,MLへの登録停止(無期限/有期限)や再登録などを決定する。
F-1 組織形態や諸規約は、組織原則の意図が活かされるかぎりにおいて、細部の修正がなされるべきである。また、「代表者」に関しても、一定の人数と体制が確立するまでは、組織原則を適用しないでもよい。小人数であっても、運動をすすめるために、NAM**準備会と名乗ってよいし、代表者あるいは連絡責任者を決めてよい。また、小人数であるため、NAMとして活動できない地域の者は、距離的に近いブロックに所属してよい。各ユニットの代表者あるいは連絡責任者は、当面、会員の中で協議して決め、センター評議会が承認した者とする。組織体制が確立したのちは、(NAM代表をふくめて)互選とくじ引きという組織原則に従う。現在、センター代表者会議は、連絡責任者をふくむ、暫定的な拡大会議である。要するに、当面は柔軟に対処すべきである。
F-2 会員の他に、賛助会員がある。賛助会員は、大会や通信に参加し、自由に発言することができる。ただし、代表選出などの決定には参加できない。
F-3 各地域のアソシエーションは財政的に独立し、そのメンバーの合意の上で、会費を定め運営する。ただし、メンバーは全員、「センター」に年会費2,000円を納める。その会計報告は会員すべてに開示される。各地域系あるいは関心系の事務局への会費は、それぞれが定める。たとえば、NAM東京とNAM大阪は8,000円である。賛助会員は、年会費一口10,000円以上を、「センター」に納める。地域系に複数所属する者はそれぞれに会費を払うこと。
F-4 センター事務局は輪番制で移動する。すでに、二〇〇〇年一月にセンター事務局は、大阪から東京に移転している。現状での、センター事務局の任務の一つは、どこでもセンター事務局ができるような技術的な体制を作りあげることである。
F-5 センター事務局のほかに編集局・海外担当局・規約委員会・プロジェクト委員会などがある。これらのメンバーは、センター評議会によって任命される。規約委員会は「NAMの原理」の研究と改訂に従事し、センター評議会に答申する。
F-6 監査委員会は、センターの経理、運営を監査し、全員に報告する。また、各支部、あるいはその間での、対立やリコールなどに対して公平に対処する。監査委員は任期を二年として、一年ごとに半数が、入会後一年以上経た会員すべてから、くじ引きで選出される。監査委員会は議長を互選し,議長による議事進行のもと,会員のルール違反などについて討議し,必要な決定を行い,その結果を全会員に通知する。
F-7 地域系は、国家の行政単位と無関係に、主要都市を単位とする。その近傍にいる会員はそこに所属する。現在、地域系NAMが成立しているのは大阪と東京だけであるが、他にNAM京都準備会・神戸準備会があり、NAM大阪に属している。地域系を構成するに至っていない地域の会員は、当面、中国、九州などの大ブロックに属し、相互に連絡をとる。一定の会員数があれば、準備会を作るべきである。ブロックおよび地域準備会の連絡責任者は、オブザーバーとして、センター評議会に参加する。
F-8 階層系としての学生組織は、地域系とは別に成立する。たとえば、NAMs**大学というような名称をもった学生組織が作られてもよい。学生組織に関しては、あらかじめ代表者を決めることはしない。彼らが代表者を選出してくるのを待つ。それまでは、連絡責任者を定める。連絡責任者は、オブザーバーとして、センター評議会に参加することができる。ところで、学生運動もまた、内在的と超出的の二つの要素をもつべきである。すなわち、たんに旧来のような資本や国家への闘争だけでなく、自ら非資本制的な企業や通貨システムを創出できる用意をする運動をもつべきである。
F-9 階層系とのしての学生や引退者は、法的・行政的区分によるものではない。それは地域系と同様に、「近傍」をふくむものである。それらの区分は、当人の自己解釈にもとづく。
F-10 地域・関心・階層の各セクションは、独立してウェブサイトをもってよいし、またもつべきである。
F-11 NAMがインターネットをフルに活用する以上、通信のルールは厳重に守られなければならない。事務局は会員・賛助会員の個人情報に関して厳密に管理し、当人の許可なくして、他人(NAMのメンバーをふくむ)に知らせない。会員・賛助会員は、必要がある場合、ペンネームを用いてよい。討議過程の段階での発言を、当人の許可なくして引用してはならない。メールによる発言はパブリックなものとしてなされるべきである。よって、個人的な誹謗・中傷は無効と見なされる。悪質な場合は、罰則規定(F)を適用する。
F-12 通常の関心系・地域系のセクション以外に、さまざまな問題に関して、臨時に、実行委員会、プロジェクトチームが結成される。たとえば、現在、LETSとニュースクール、農業に関してプロジェクトチームがある。それらは諸区分を横断するものであり、その場合、非会員の専門家をアドバイザーとして、臨時に要請してよい。これらのプロジェクトや闘争は、NAM全体から支援される。とはいえ、NAM内部でのみ実行される場合を除けば、それらは、実行する段階においては、NAMと区別されなければならない。すなわち、NAMが組織として実行するのではなく、非会員をふくむ別の組織が実行する。
13 NAMは、インターネットを用いることで、リアルな「地域」のみならず、ヴァーチャルな「地域」でも実現できるようなソフトウェアの開発と実装を推進する。それによって、さまざまな地域系や関心系がインターネット上のプラットフォームを共有し、各々独立なLETSを多層的、多重的に実現するmulti-LETSが展開される。そこには、会員だけでなく非会員も参加することができる。