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(黄=階層系
学生系(関西・関東)引退者

*3 階層系について(新版原理D-3より)

(略)われわれは、次の二つのみを社会的階層として認める。学生と引退者、あるいはそれらに準ずる者である。生産関係その他にもとづく実体的な階層が共時的な区分であるとすれば、学生や引退者は、誰もが通過する通時的な区分である。われわれがこの二つを特に階層として認める理由は、次の点にある。一般に、壮年期の人間が何らかの組織に所属し職業に従事するがゆえに、特殊な利害・関心と力をもつとすれば、学生(青年期)はまだ何者でもない存在であるがゆえに特殊利害を超える「抽象的な」普遍性をもち、引退者(老年期)はもはや何者でもない存在であるがゆえに特殊利害を超える「具体的な」普遍性をもつということができる。われわれが階層系として学生と引退者のセクションを設定するのは、それらが逆に実体的な階層を超えるものだからである。 歴史的に、学生運動が社会変革において大きな役割を果たしてきたことはいうまでもない。それは労働運動や市民運動が暗黙に特殊的利害で動いているのに対して、学生運動にはそれがないからだ。にもかかわらず、こうした学生のあり方は、たえず非難されてきた。保守的な側から、学生が理想主義的であり世間の現実を知らないといわれるのはまだしも、マルクス主義者の側からも、学生運動はそのプチブルジョア性を否定してプロレタリアートの運動に従属すべきだといわれてきた。旧来の運動は、実際には学生運動に大きく依存しているにもかかわらず、学生を副次的で非本質的な存在として位置づけ、それを破壊してきたのである。彼らは学生という階層の独自の位相を見ていなかった。引退者についても同じことが言える。彼らは資本と国家に奉仕したのちに不要とされた者である。だが、彼らはたんに退職金や年金や福祉をもらいながらおとなしく死んで行く存在である必要はない。これまで拘束されてきたものから自由になった引退者は、すべての豊かな経験を活かして、これまで彼らを拘束してきたもの、すなわち、国家と資本への対抗運動に、残る生涯を積極的に生きることができる。

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